「哲学としての仏教」

2023年(令和5年)321() 午前11時 会場:弘宣寺 本堂

弘宣寺 住職 八村弘昭(やつむら ひろあき)

 

 西洋哲学は2500年以上もの間「真理」を目指しましたが、それでもなお真理に到達できていないのに、東洋哲学は「真理に到達した」とあっさりと言います。ではその東洋哲学とは何なのか。仏教を東洋哲学として勉強したいと思います。

 

1、お釈迦さま

 

 お釈迦さまよりも昔にインドでは「ヤージュナヴァルキヤ」という哲学者がいました。彼は「世界を成り立たせている原理」と「個人を成り立たせている原理」は同じものだと考えました。そして「個人を成り立たせている原理は、絶対に認識できない」と考えました。この真理を知識として知っているだけでなく、体験としてわかるために、当時のインドでは苦行が大流行しました。どんな苦痛にあっても心が平穏であれば真理を体験したことになると考えたからです。しかしお釈迦さまは、「苦行」をやめ、「中道(ちゅうどう)」を大切にしました。苦痛に耐えたことを自慢したり、苦痛に耐えることでまわりから褒め称えられたりしても何も悟りには至らないと考えました。苦行にこだわらないで真理を目指す。これがお釈迦さまのやり方です。

 

 お釈迦さまは、木の下で瞑想を続けて、ついに悟りを得ました。そしてかつての苦行仲間に真理を説きました。それは「人生は苦しみである」、「その苦しみには原因がある。それが執着(欲望)だ」、「その原因(執着)を無くせば、苦しみは滅することができる」、「その苦しみが消えた究極の境地に至る道(方法)がある」ということです。

 

 お釈迦さまは「無我(私を成り立たせている原理は存在しない)」と言いました。これはヤージュナヴァルキヤが「個人を成り立たせている原理」があると言ったことを否定しています。当時の哲学者たちはビックリしました。しかしヤージュナヴァルキヤが「個人を成り立たせている原理は、絶対に認識できない」と言ったことを当時の哲学者たちはこだわるばかりに「認識できないということを認識した」という状態になっていました。これは「理解できないことを理解した」というような意味のわからないものになってしまいます。それをお釈迦さまは「私を成り立たせている原理は存在しない」と言って、「認識できないことにこだわらない」という道を作りました。

 

2、龍樹(りゅうじゅ)

 

 龍樹は、大乗仏教と小乗仏教に別れた後に、大乗仏教の僧侶として活躍しました。龍樹は「縁起(えんぎ)」と呼ばれる「あらゆるものは、必ず何らかの縁によって起こって生滅をし続けており、永遠不変のものとしては存在しない」というお釈迦さまの哲学こそが仏教の中心だと思い、「空(くう)の哲学」として洗練させ、「般若経」という本に書きました。この般若経は600巻以上もある超巨大な経典で、これを短くまとめたのが「般若心経」です。

 

 般若心経には「色即是空、空即是色」とあります。意味は「物質には実体が無い、実体が無いのが物質である」ということです。わかりやすく言うと、「自転車」とは、ハンドルやペダルや車輪やサドルなどのたくさんの部品が組み合わさってできたものを「そう呼んでいる」だけのことであり、「自転車という独立した何か」がそこに存在しているというわけでは無いということです。自転車からハンドルやペダルを外したら、自転車という存在は無くなる。ハンドルやペダルなどの部品の集まりを、ただ自転車と呼んでいただけのことです。本来、世界の真の姿とは「AともBとも言えないような、どっちがどっちにとも言えないような、そんなすべてがドロドロに混じりあった海のようなもの」なので、私たちは、そんな「ドロドロの海(すべてがつながった巨大な関係性)」の中から、「これをA」、「あれをB」として区別して切り出しているのです。だから私たちが「存在している」と認識しているものはすべて、私たち自身がそういうふうに存在するように「区別」しているからこそ、そういうふうに存在しているのであり、決して「そういうもの(実体)があるから存在している」のではないのです。逆に言い換えれば、そういう実体のないもの(区別のための境界線を引いたことで現れただけのもの)こそが、私たちにとって「存在するもの」なのです。これが「色即是空、空即是色」ということです。

 

 さらに般若心経には「知ることも無く、得るものも無い。もともと得るということが無い」とあります。すべてのものが「無い」と否定することで、私たちが常識として思っている「この世の中にはいろんなものがある」という思い込みを無くそうとしています。般若心経の「般若」とは「智慧」という意味です。その智慧の境地に行き着くためには、すべてを否定した後にあるということです。

 

3、親鸞(しんらん)

 

 弘宣寺は浄土真宗ですが、親鸞は浄土真宗を作った人です。親鸞は「善人ですら極楽浄土へ行くことができるのだから、ましてや悪人が極楽浄土へ行くのは当然のことである」と言っています。自分を善人だと思っている人は、自分の力で物事が解決できると思っており、他力(阿弥陀仏の救い)の気持ちを持っていないからダメだということです。そんな善人でも救われるのだから、他力しか無い悪人が救われるのは当たり前のことだと親鸞は言っています。善人というのは「自分で起こしている」と考えたがります。自分で正しいことをしていると思っているからです。当然、自力でやっていると思った方が気持ちが良い。だが、それは東洋哲学的には事実に反するし、最終的には不幸を招く。なぜなら、「自力」では解決できないことがいつかは起こるからです。一方、「他力」には解決できない問題はない。というより、解決する問題自体が存在しない。どうなろうと「起こるに任せる、身体が動くに任せる」のだから、そういう境地においては「問題を解決する」という概念自体が成立しない。その意味で他力とは無敵の境地でもあるのです。そして、悪人というものは、善人よりも「他力」の境地になりやすい。だから、悪人こそが救われるのです。

 

 自分自身の行いに悩み苦しんでいる悪人は、悩み苦しんでいるからこそ真にすがることができる。神仏に身を委ねることができる。一心に、念仏に打ち込むことができる。ホントウに心の底から「助けてください! 阿弥陀さま!」と叫ぶことができる。この思いと念仏が、悪人を「他力」という極楽世界に導く。そして、その極楽の世界において、かつてお釈迦さまが到達したという境地、東洋哲学が究極とするあの境地を垣間見るのです。

 

 しかし、親鸞の意図に関係なく、大衆は必ず誤って理解をする。もし「悪人こそが救われる」と大衆に語ったとしたら、彼らはきっとこう誤解したでしょう。「じゃあ、人を殺しても念仏を唱えたら救われるんですね。そして、むしろ悪いことをした方が、救われやすくなるんですね」と。まったく馬鹿げた話ですが、本当にこのように解釈する者が後を絶たず、親鸞は死ぬまでその誤解を解く対応に追われることになります。結局、親鸞の「悪人こそ救われる」という言葉がまとめられた「歎異抄(たんにしょう)」という哲学書は、大衆には誤解を招くだろうということで、長いこと本願寺の書庫に隠されてしまいました。明治時代になり世の中に出て、親鸞の哲学は広く知られるようになりました。

 

4、栄西(えいさい)

 

 栄西は、中国で修行をして、日本に帰って禅宗の臨済宗を作った人です。臨済宗は「公案(こうあん)」という問答をして、悟りの境地に至ろうとします。この公案を簡単に言うと「ナゾナゾ」です。師匠が弟子にナゾナゾを出し、弟子はそのナゾナゾを解くことで悟りを得ようとするものです。

 

 私たちは二つの思い込みがあります。ひとつは「どのような問題も考えることによってのみ解決可能である」と思うこと。「戸が開かない」、「パソコンが壊れた」、「友達に嫌われた」といった日常的なトラブル。私たちは、こういう問題について「考えることによってのみ把握することが可能で、考えることによってのみ解決策を得ることができる」と当たり前のように思っています。「宇宙ができた原因は何なのか?」といった問題については、私たちは「たしかに考えることでは答えは出せないよね」と素直に敗北を認めますが、それは裏を返せば「考えること以外の取り組み方は無い(考えることで解決できなければ他は無い)」と思いこんでいるのです。ふたつめは、「その考えることが私自身である」という思い込みです。そもそも、考えることとは肉体が持っている機能のひとつにすぎない。だが、たいてい私たちはその機能をとても重要視し、それどころか、それこそが「私」なのだと「同化」してしまいます。「君は手先が不器用だね」と言われても、「うん、そうなんだよね」と思うぐらいでしょう。しかし、「君は実にバカだな」と真顔で他人から考えることを否定されると、人は激しく怒るか、深く傷ついてしまいます。その理由は単純です。私たちは「考えること」を「自分自身()」だと思いこんでいるからです。その思い込みは悟りの境地をジャマするものであるから、何としても打ち砕かなくてはなりません。そこで臨済宗の師匠は、そのための状況を作り出そうと、さまざまな方法を考えてきました。

 

 たとえば「両手で拍手するとパチパチと音がするけど、では片手でやるとどんな音がする?」という問題があります。これは「隻手(せきしゅ)の音」と呼ばれる最も有名な公案で、師匠からこの公案を出された弟子には時間が与えられ、弟子はその答えを考えます。寝ても覚めても、歩いていても座っていても、いつであろうと弟子はこの公案を考えます。考え続けます。そして答えを出して師匠に伝えに行くと「ダメだ」と言われます。また考えて行くと「ダメだ」と言われます。弟子は真っ青になります。それでも師匠は「それを考えろ」と言います。弟子は「もう限界だ」と思うがさらに一歩を踏み出した時、「考える」ということが身体から剥がれ落ちます。そして絶対的な静寂に包まれます。弟子は、生まれて初めて「考えること」を「他者として観る」という「体験」を味わいます。これが公案の意味です。

 

5、道元(どうげん)

 

 道元は、比叡山で修行をしたが二年でやめ、臨済宗の栄西の元で禅を学び、その後に中国で修行をして、日本に帰って曹洞宗を作りました。曹洞宗は、臨済宗のような公案をあまり使わず、只管打坐(しかんたざ。ひたすら坐禅に打ち込むこと)によって悟りの境地を得ようとします。

 

 道元は「仏教の修行は、悟りに捉(とら)われてはいけないし、悟りを開こうという思いに捉われてもいけない。さらには悟りに捉われないことにも捉われてもいけない」と言います。「悟りたい」という思いも欲望なのだから、悟りに捉われてはいけないという意味はわかります。しかし「捉われないことにも捉われてもいけない」とは不可能に思えます。なぜなら、「捉われないことにも捉われてもいけない」ことにも捉われない、「捉われないことにも捉われてもいけないことにも捉われない」ことにも捉われない、と無限になってしまうからです。そこで道元は、「ただ座れ」と言います。座れば答えがわかるとか、そんな余計なこともいっさい言わない。とにかく座れ、いいから座れ。これが道元の見つけた解決の道でした。

 

 ただ座って自分の頭に浮かび上がる考えをただ見守る。お釈迦さまも木の下で瞑想を続けたことによって悟りを得たので、とても正当な方法と言えます。悟りを求める人が坐禅をすると、たいてい、いろんな妄想が頭の中に浮かんできます。「考えてはいけない」と思えば思うほど、いわゆる世俗的なことがついつい思い浮かんでしまう。だが、それをいっさい無視する。どんな思いが浮かんでこようと、まったく取り合わない。悪いとされる考え方が浮かんできても無視。善いとされる考え方が浮かんできても無視。考えに捉われる考えが浮かんできてもとにかく無視。いっさい取り合わない。何が起きようと起きたことを起きたままにする。そうすると、舞い上がったホコリがゆっくりと地に落ちていくように、雑多な考えがおさまっていきます。そして、ついに、悟りの瞬間が訪れます。禅とは「問題を分析し解き明かす」のではなく、「問題から飛躍し『答え』を直接体験する」ことを目指して洗練されてきた哲学なのです。

 

 

 

以下の本を参考にしました。

 

・「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち」(飲茶。河出文庫。920円)




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