「初期仏教と大乗仏教」
2022年(令和4年)9月23日(金) 午前11時 会場:弘宣寺 本堂
弘宣寺 住職 八村弘昭(やつむら ひろあき)
1、初期仏教
昔のインドには階級制度があり、この身分制度は完全な血統性で、生まれによって絶対的に決定されるものでした。その中で「人は努力によって決まる」と主張する人たちが出て来ました。人々から「努力する人」と呼ばれました。インド語で「シュラマナ」と言い、中国に伝わって「沙門(しゃもん)」と当て字にされました。沙門の修行方法は二つあって、一つは苦行、もう一つは瞑想でした。苦行というのは、肉体に苦痛を与え、それによって自己の精神パワーを高めていって、幸福の境地に到達しようという考えです。インドでは古くから、苦行によって超越的なパワーを手に入れられると考えられていました。苦行をしない、瞑想が努力だと考えた沙門がお釈迦さまでした。
今のネパールとインドの国境近くを治めていた釈迦族の王様の息子がお釈迦さまでした。しかしお釈迦さまは「年をとらねばならないこと」、「病気の苦しみから逃れたいこと」、「必ず死なねばならないこと」(老・病・死)という、みんなに共通の苦しみを強く意識するようになり、思い悩んだ末、出家して沙門になることを決意します。二人の先輩の沙門に弟子入りしたお釈迦さまは、精神を集中する方法を学びました。それから一人で自立して、苦行をしました。骨と皮ばかりになる激しい修行でした。そして、苦行では何も得られないとわかると、瞑想という努力方法に専念しました。そしてほどなく、悟りを開きました。
お釈迦さまが苦行をあえてして、それから瞑想を選んだのは、「仏教という宗教は、苦行をしないで、瞑想一本でやっていく」という主張をしているのと同じことです。悟りを開いたお釈迦さまは、ある町で5人の若者に教えを伝えて弟子にしました。これが仏教という宗教の出発点です。お釈迦さまも入れて合計6人でスタートした仏教は、いくつかの基本的生活規則を基にして集団で暮らしながら修行に励む集団宗教の形をとりました。重要な規則を挙げれば「世間の生活を捨て、出家者として定められた衣食住生活を送らねばならない」、「食べ物に関しては、世間の人たちの残り物しか食べてはならない(これを乞食(こつじき)と言います。自給自足も禁じられていました)」、「性行為を行ってはならない(したがって仏教出家者は必ず独身でした)」、「原則として集団で生活しなければならない(この集団をサンガと言います)」などでした。これらの規則を守って生活する中で、毎日瞑想修行に努め、それによって悟りを開く。これがお釈迦さまがつくった仏教の具体的な姿でした。
お釈迦さまの死因は、食中毒です。激しい下痢に悩まされ、サーラという木が二本立っている、その間に横たわって亡くなりました。ちなみに、サーラの木が二本で沙羅双樹と言います。人間として生まれ、人間としてできる限りの努力によって悟りを開き、そしてごくごく普通の、人間らしい亡くなり方でこの世を去っていった。これにこそ、仏教の姿が現れています。神のような絶対的な存在を考えなくても、法則性の世界で最高の自己を実現することができる。奇跡も、神のお告げも、神秘的ないかなる経験も無い普通の生活のなかに、真の安らぎを見出す道がある。これがお釈迦さまのつくった仏教のおおもとの理念です。
お釈迦さまが具体的に何を悟ったのかはわかりません。しかし、この世の中を原因と結果の関係で考えて、神のような絶対的な存在を使わずに、苦しみを取り除く方法を見つけました。お釈迦さまの教えた仏教だけが持つ三つの特性の一つめは「神のような絶対的な存在を認めず、世界を法則性によって説明する」です。唯一絶対神宗教や、多神教宗教といった、絶対的な存在を前提とする宗教とは違うということです。神では無く、世界は特定の法則に沿って自動的に展開していくのです。お釈迦さまが悟ったのは、法則世界に束縛された状態にありながらも、その中で真の安らぎを得るための道です。その道を見つけたお釈迦さまは、それを自分だけのものとすることに満足せず、他の生き物たちにも告げ知らせ、できるだけ多くの者が同じ道を進むように呼びかけました。二つめは「努力を、肉体ではなく精神に限定する」です。お釈迦さまの見つけた法則とは精神世界のものであって、科学のような物質法則を探すものではありません。解明された精神世界の法則を基盤にして、自分の精神の「苦」の消滅を目指します。世界を理解した上で、その理解に立脚して自己改造を目指すのです。だからこそ仏教は宗教なのです。日々の反復訓練によって、少しずつ自分の精神構造を変えていかねばなりません。ここに、修行という特殊な活動の必要性が生じてきます。その自己改造の具体的方法が瞑想なのです。それゆえに、他の一切の活動を放棄して、生活のすべてのエネルギーを修行に傾けなければならないということになります。これが、仏教が出家主義を取る理由です。ひたすら自分の精神を改造することで苦の消滅を目指す、そこに仏教の本領があります。そしてすでに言ったように、仏教は、精神の鍛錬を主眼とする宗教であるから、その修行が精神だけを対象とするのは当然です。したがって仏教は本来、肉体的な苦行を認めません。修行とはひたすらに自分の精神を集中させ、その悪しき要素を取り除くという、いわゆる瞑想に限定される。仏教の修行とは、お釈迦さまの言葉を理解するための経典の勉強と、それに沿って行う瞑想の実践、この二点に集約されるものなのです。三つめは「修行のシステムとして、出家者による集団生活体制をとり、一般社会の余り物をもらうことによって生計を立てる」です。仏教徒にとって最も重要な活動は修行でありました。仏教の修行は、瞑想と、経典(お釈迦さまの言葉)を覚え唱えることが中心ですが、仏教ではそれを徹底的に行わなければ悟りを開くことはできないといいます。徹底的というのは、すなわち日常のあらゆる生産活動を放棄して、自分のすべての時間を修行に使うということです。したがって仏教では、出家による「自活の放棄」こそが修行生活の基本となります。修行のために生活の他の面をすべて犠牲にするのです。しかし、人間が生産活動を放棄したなら、その人は食べていくことができません。そこで仏教では、修行者が生きていくための方法として「乞食(こつじき)」という方法を採用しました。それは、一般社会の人たちが食べ残した食物をわけてもらうという生活方法です。裏の畑で野菜を作ったり、野山へ出掛けて山菜をつんだりしてはなりません。当時のインドは、仏教以外にも多くの沙門宗教や、あるいは伝統的なバラモン教など、多くの宗教が競い合っていたので、仏教の修行者が一般の人々から食事をもらうのは大変困難なことでした。布施する側の世間の人は、自分が布施する対象が立派であればあるほど、自分の布施の善業は大きくなり、より良い果報が戻ってくると考えていたから、布施する対象を厳しく選択していました。したがって、仏教の出家者が食物をもらうためには、世間の人たちから「立派な人だ」と思われなければなりませんでした。
2、大乗仏教
大乗とは「すべての人を救う大きな乗り物」という意味で、出家しなくても悟りに近づくことができると考えます。中国や朝鮮半島、日本などで信仰されています。それに対して小乗と呼ばれるのは「限られた人しか救うことのできない小さな乗り物」という意味で、出家して特別な修行に励んだ者だけが悟りを開くことができると考えます。スリランカやタイ、カンボジア、ミャンマー、ラオスなどで信仰されています。お釈迦さまが直接に教えた仏教と、大乗仏教は、教えの内容がまるで違っています。
お釈迦さまの仏教は、この世は「天・人・畜生・餓鬼・地獄」の五つ(のちに阿修羅が入って六つ)からなり、あらゆる生き物は、この中を延々と生まれ変わり死に変わりを繰り返すと考えられています。これを「輪廻(りんね)」と言います。しかし悟りを開くと「涅槃(ねはん)」という状態になり、二度と生まれ変わることが無くなります。大乗仏教でも涅槃をゴールと考えましたが、そこに至るための方法が異なっています。お釈迦さまが自己鍛錬によって煩悩を消して涅槃になろうと考えたのに対し、大乗仏教では外部に私たちを助けてくれる神のような存在や、あるいは不思議なパワーが存在すると想定して、自分の力ではなく「外部の力」を救いの拠り所と考えました。そのため大乗仏教では次第に「出家しなくても悟りの道を歩むことは可能だ」という考えが前面に出てくるようになったのです。
お釈迦様の時代から500年ぐらい経った頃、大乗仏教は生まれます。「理にかなってさえいれば、それはお釈迦さまの教えと考えてよい」というアイデアが登場しました。これによって教えが大きく変わっていきました。お釈迦さまの仏教では、修行を積んで悟りを開いてもお釈迦さまよりも一段下のレベルにしかなれませんでした。しかし大乗仏教では、悟りを開いた者の最終到達点は「お釈迦さまと同じになること」になりました。これを「成仏(じょうぶつ)」と呼びます。そのためにお釈迦さまと同じになるための方法を探しましたが、経典には具体的な方法は何もありません。そこで「お釈迦さまは前世に何かあったからこそ、悟りを開けた」と考えるようになりました。お釈迦さまはもともとは平凡な人だったが、前世で悟った人に出会って「あなたのように私もなりたいので努力します」と誓い、悟った人も「お前は将来に必ず悟りを開けるだろう。がんばりなさい」と未来を保証し励ましてくれただろう。そこからお釈迦さまは特別な生き方に入ったのではないかと考えました。そして自分たちが悟りを開くためには「悟った人と出会い、それを崇(あが)めること、供養することが悟るための近道である」と考えました。
般若経
般若経は大乗仏教の経典で一番古いです。禅宗や天台宗、真言宗などが大切にしています。般若経の大きな特徴は「すべての人は過去においてすでに悟った人に会っていて、誓いを立てている」と考える点にあります。そしてそれまでの仏教には無かった「日常生活の中で善い行いを積み重ねていけば、それが悟りへのエネルギーとなり、やがては悟ることができる」と新しく考えるようになりました。そして般若経では、お経そのものを「悟った存在」と考えました。つまり、お経を讃(たた)えれば、悟った人を崇め、供養していることになるのです。
法華経
「南無妙法蓮華経」と唱えるもので、日蓮宗だけで無く、他の宗派でも大切にされています。法華経は「お経の王」と呼ばれています。「誰でも悟りを開ける」と強く主張したからです。般若経では悟りを開くために「お釈迦さまの教えを聞きながら阿羅漢を目指して修行に励む出家者」、「誰にも頼らず独自に悟った人」、「悟った人に会ったと自覚し、日常の善行を積むことによって悟りを目指す人」の三つがありました。しかし法華経では、「三つを一つにまとめて、すべての人をもれなく救う」と考えました。法華経も、お経そのものが神秘的なパワーがあると考えました。法華経そのものを崇め奉(まつ)ることで、悟りを開くための力になると考えます。
浄土教
弘宣寺の浄土真宗や、浄土宗、天台宗でこの教えを大切にしています。日本では、浄土宗をつくった法然や、浄土真宗をつくった親鸞によって、一般庶民に爆発的に広まりました。平安時代末期の日本は、毎年のように各地で天災が続いて大凶作や飢饉が起こり、大量の病死者や餓死者が出るようになってきました。こうした生きるのが困難な社会になるにつれ、世の中には「末法思想(まっぽうしそう)」が流行し始めます。末法思想とは「お釈迦さまが亡くなってしばらくすると、正しい仏教の教えが衰退し、現世で悟りを開くのが不可能な時代が訪れる」という仏教の予言・歴史観のことを言います。それを知った当時の人々は、荒廃が進む世の中と、末法の時代の到来を結びつけて考えるようになり、恐れを抱くようになっていきました。そんな時代に浄土教では、修行などは一切不要であると言い、「南無阿弥陀仏という言葉をとなえさえすれば、誰もが極楽浄土に往生できる」と説きました。「自分で努力しなくても阿弥陀さまが救いの手を差し伸べてくれる」という他力本願の考えが、民衆の間に爆発的に広がっていったのです。浄土教では「私たちが生きているこの世界とは別の場所に、無限の多世界が存在している」と考えます。その多世界には悟った人がいる世界といない世界の二つが存在するとして、悟った人がいる世界を「仏国土(ぶっこくど)」と呼びました。その仏国土の一つが極楽浄土で、その中心人物が阿弥陀さまなのです。浄土教では「極楽浄土に生まれてから悟りを開くこと」が目的でしたが、次第に「極楽浄土に生まれることそのもの」が目的になりました。
密教
インドで密教が誕生したのは4から5世紀頃。当時のインドではヒンドゥー経の勢力が強まり、仏教は次第に衰退しはじめていました。そんな中で生き残る方法を考えた大乗仏教が、ヒンドゥー教やバラモン教の呪術的な要素を取り入れて生まれたのが密教の起源と言われています。日本では、真言宗が密教ですが、天台宗も密教を大切にしています。密教は、ひとことで言えば「教えを一般には公開しない」というのが最大の特徴です。経典は「大日経」と「金剛頂経」の二つです。曼荼羅も使います。密教では「自分が悟っていると気づくことが大切」と教えます。護摩を焚いたり、加持祈祷もします。
禅
禅は、インドではなく中国発祥の思想です。道教などをベースとした出家者集団がまず中国に存在し、それが仏教の瞑想と結びついて、仏教集団となっていったのが起源とされています。日本では、臨済宗と曹洞宗です。禅宗には特定の経典がなく、教えよりも生活スタイル(実践)がベースとなっている点で、他の大乗宗派とはかなり異なっています。「私たちの内側には悟るための可能性があり、それに気づくことが悟りへの道である」ととらえ、気づくための修行方法として「坐禅修行」を重視しています。曹洞宗はひたすら坐禅をするのに対し、臨済宗では坐禅に加えて「公案」と呼ばれる禅問答を重視しています。禅宗は他の宗派と異なり出家を基本とする教団でした。
以下の本を参考にしました。
・「科学するブッダ」(佐々木閑。角川ソフィア文庫。800円)