「お釈迦さまの教え」
2021年(令和3年)3月20日(土) 午前11時 会場:弘宣寺 本堂
弘宣寺 住職 八村弘昭(やつむら ひろあき)
「スッタニパータ」というお釈迦さまの教えを書いた仏教の本はインドで作られ、たくさんある仏教の本の中で一番古いものです。後の時代の仏教の本のような複雑な教えはなく、人間として生きる道が具体的に書かれています。今回はこの「スッタニパータ」に書いてある教えを見ていこうと思います。
1、「蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者は、この世とかの世をともに捨て去る。蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである」
怒りというものは自分を滅ぼすと仏教で教えます。カッとなって行動したら一時的には気持ちが良くても、後から必ず後悔することになります。この怒りを自分で抑えられる人は、苦しみが減るとお釈迦さまは教えます。
2、「子や妻に対する愛著(あいじゃく)は、たしかに枝の広く茂った竹が互いに相絡むようなものである。タケノコが他のものにまつわりつくことのないように、サイの角のように、ただ独り歩め」
子や妻のいる人が、相手を愛するあまりにまとわりつくならば、苦しみが生まれる。だから子や妻がいても、自分の人生を自分で生きなさいとお釈迦さまは教えます。
3、「実に欲望は色とりどりで甘美であり、心に楽しく、種々のかたちで、心を攪乱(かくらん)する。これはわたくしにとって災害であり、腫(は)れ物であり、禍(わざわい)であり、病であり、矢であり、恐怖である。諸々の欲望の対象にはこの恐ろしさのあることを見て、サイの角のようにただ独り歩め」
欲望はいろいろな種類があり、快く楽しい。いろいろな形で近づいてきて、心をかき乱す。そしてその後に災害のように、禍のように、病のように自分を苦しめる。この欲望の恐ろしさを知りなさいとお釈迦さまは教えます。
4、「悪い人々を愛し、善い人々を愛することなく、悪人のならいを楽しむ。これは破滅への門である」
悪いことをする人たちと仲良くなり、悪いことを楽しむようになるということは自分を滅ぼすことになるとお釈迦さまは教えます。今の時代で言えば、オレオレ詐欺をする人たちの仲間になって、人をだますことを楽しむようになると、最後は破滅しかないということです。
5、「みずからは豊かで楽に暮らしているのに、年老いて衰えた母や父を養わない人がいる。これは破滅への門である」
自分が豊かな暮らしをしているのに、年老いた父や母の面倒を見ない人は破滅するとお釈迦さまは教えます。
6、「女に溺れ、酒にひたり、賭博に耽(ふけ)り、得(う)るにしたがって得たものをその度ごとに失う人がいる。これは破滅への門である」
女性に夢中になって心を奪われたり、酒浸りになったり、ギャンブルに夢中になる人は破滅するとお釈迦さまは教えます。
7、「おのが妻に満足せず、遊女に交わり、他人の妻と交わる。これは破滅への門である」
自分の奥さんに満足せずに、エッチなお店に行ったり、他人の奥さんと不倫する人は破滅するとお釈迦さまは教えます。芸能人が不倫をして叩かれて仕事を干されるのは、まさにこの通りです。
8、「怒りやすくて恨みをいだき、邪悪にして、見せかけであざむき、誤った見解を奉じ、たくらみのある人。かれを賤(いや)しい人であると知れ」
怒りやすくて、恨みを持っていて、見せかけだけで相手をだまし、間違った考えを信じて、悪いことを企んでいる人は、とてもレベルの低い人だとお釈迦さまは教えます。
9、「母・父・兄弟・姉妹或いは義母を打ち、またはことばで罵(ののし)る人。かれを賤しい人であると知れ」
身内に暴力を振るったり、汚い言葉で責める人はとてもレベルが低い人だとお釈迦さまは教えます。
10、「悪事を行っておきながら、『誰もわたしのしたことを知らないように』と望み、隠し事をする人。かれを賤しい人であると知れ」
悪いことをしていながら、バレないようにと願う人はとてもレベルが低いとお釈迦さまは教えます。官僚が悪いことをしていながらバレないように願うことは、エリートだけど人間としてはレベルが低いということです。
11、「自分をほめたたえ、他人を軽蔑し、みずからの慢心のために卑しくなった人。かれを賤しい人であると知れ」
自分で自分をほめたたえながら、他人を軽蔑する人はとてもレベルが低い人だとお釈迦さまは教えます。エリートに多いタイプだと思います。
12、「生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモン(聖者)になるのではない。行為によって賤しい人となり、行為によってバラモンともなる」
生まれによってレベルの低い人間かレベルの高い人間かに決まるのではなく、生まれてからの行動によって決まるんだとお釈迦さまは教えます。
13、「何びとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない」
誰でもあっても人をダマしてはならない、他人を粗末にしてはいけない、他人に苦痛を与えてはいけないとお釈迦さまは教えます。
14、「あたかも、母が己が独り子を命を賭けて護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起こすべし」
母親が我が子を護るように、人間も人間以外もすべての生きものに対して計り知れないぐらい多い大切に思う心を持つべきだとお釈迦さまは教えます。
15、「この世では信仰が人間の最上の富である。徳行に篤いことは安楽をもたらす。実に真実が味の中での美味である。智慧によって生きるのが最高の生活であるという」
この世の中では信仰が一番の財産であり、徳があったり良い行動をする人は穏やかな心を持つ。真実を知ること、語ることが一番おいしく、智慧によって生きるのが最高だとお釈迦さまは教えます。
16、「他人がことばを極めてほめたりそしったりしても、水浴場における柱のように泰然(たいぜん)とそびえ立ち、欲情を離れ、諸々の感覚をよく静めている人。諸々の賢者は、かれを『聖者』であると知る」
他人が褒めてくれても喜ばず、けなしてきても怒らず、物事に動じない人は聖者であるとお釈迦さまは教えます。
17、「粗暴・残酷であって、陰口を言い、友を裏切り、無慈悲で、極めて傲慢であり、ものおしみする性(たち)で、なんびとにも与えない人。これがなまぐさである。肉食することが『なまぐさい』のではない」
なまぐさいとは、仏教の信者が教えを守らずに堕落していることを言いますが、肉を食べることが堕落ではなくて、乱暴や残酷が陰口などが堕落であるとお釈迦さまは教えています。
18、「諸々の友人に対して、実行がともなわないのに、ことばだけ気に入ることを言う人は、『言うだけで実行しない人』であると、賢者たちは知りぬいている」
実行しないのに言葉だけ相手の気に入ることを言う人は、言うだけの人だとわかる人にはわかるとお釈迦さまは教えています。
19、「貪欲と嫌悪とは自身から生ずる。好きと嫌いと身の毛のよだつこととは、自身から生ずる。諸々の妄想は、自身から生じて心を投げうつ。あたかもこどもらがカラスを投げすてるように」
欲望を貪ることも、嫌い憎むことも、好きも嫌いも、妄想もすべて自分自身から生まれてくるとお釈迦さまは教えます。
20、「自分を苦しめず、また他人を害しないことばのみを語れ。これこそ実に善く説かれたことばなのである」
口は災いのもとと言いますが、自分が苦しまず、他人も傷つけないことばだけを語ることが大切だとお釈迦さまは教えます。
最後に
仏教は2000年以上の歴史がありますが、後の時代になるにつれて教えが複雑になりわかりにくくなります。このわかりにくくなったことがインドで仏教が無くなった原因になったと私は思います。お釈迦さまは「相手が理解できるように伝えなさい」と教えたので、お釈迦さまが直接に説いた教えはシンプルでわかりやすかったと思います。
また、最初の仏教の本はインドの言葉で書かれて、それが中国語に翻訳されて日本に伝わったので、翻訳がうまくないなどの理由でわかりにくくなる場合があり、「又聞きはわかりにくくなる」という状態になるので、インドの仏教の本から直接に日本語に翻訳したものを学ぶことは、正確でわかりやすいと思います。
今回、私が参考にした本は、中村元(なかむら はじめ)という人が書いた「ブッダのことば」(岩波文庫。860円)です。中村さんは東京大学の教授を務め、仏教の勉強をしていました。インドの言葉の仏教の本を読んで日本語に翻訳してくれるので、私もとても勉強になっています。また、中村さんは「岩波仏教辞典」も書いていて、この辞典も仏教の言葉をわかりやすく詳しく解説してくれるので仏教の勉強をしたい人におすすめです。
お釈迦さまが説いた教えは私たちの心に素直に飛び込んできてくれます。2000年以上も前から人間は同じようなことに悩み、苦しんでいます。今の時代の私たちの苦しみを、お釈迦さまの智慧で減らすことができれば仏教を学ぶ意味があると思います。