「お釈迦さまの言葉」

2018年(平成30年)321() 午前11 会場:弘宣寺 本堂

弘宣寺 若 八村弘昭(やつむら ひろあき)

 

 

お釈迦さまは、「すべてのものは変化し続ける(諸行無常)」、「しかもそれは関わりの中の出来事であって実体が無い(諸法無我)」、「だからこの事を知って物事や心を受け止めれば、やすらぎを得られるはずだ(涅槃寂静)」という三つの真理を発見しました。

 

 

1、    諸行無常(しょぎょうむじょう)とは何か

 

・永遠に変わらないものは無い。すべてのものは数え切れない原因が絡まり合って変化し、生まれては消えていく。絶えず変化して、ほんの少しもとどまらない。

 

・人間は自分のことしか考えないから、良いことは永遠に続いてほしいと願い、それが苦しみを生む。人間の苦しみのほとんどは、変化し続けるということを理解しないから生まれる。

 

・愛するものは、いつか必ず去る。命あるものは、いつか必ず死ぬ。だから何が消え、何が変わろうが、悲しむ必要は無い。

 

・目に見える物も、目に見えない心の動きも、すべて変わり続ける。

 

*弘宣寺の住職も、坊守も、檀家さんも、若も、いつか必ず死ぬ。そのことを普段からわかっていることが大切です。

 

 

2、諸法無我(しょほうむが)とは何か

 

・この世の中の物事や出来事はすべて、直接的な原因や、間接的な原因で生まれては消えていく。だから永遠に変わらないものは無いし、すべてが変化し続けている。人間も同じ。生まれてから死ぬまでの一瞬一瞬を変化の中で過ごしている。人も、時間や場所で変わる。だから変わらない実体など無い。

 

・人が生まれてから死ぬまで、同じ状態にとどまることは無い。赤ん坊の時は何もできないが、大人になって力をつけて、老人になって再び人の手を借りる。能力だけで無く、心も時間や場所で変わる。

 

・永遠に変わらない世の中は無いし、永遠に変わらない実体も無い。すべてが関わりと変化の中にある。

 

 

3、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)とは何か

 

・欲望や不満は、自分の利益を求めるところから生まれる。だからこそ、すべてのものは変化することを理解し、この世の中には永遠に変わらない実体も無いと理解して、自分自身や世の中と向き合うなら、思いどおりにならない世の中や人生に苦しむことも無くなる。やすらかな心が訪れるはずだ。

 

・私たちの苦しみは、真理を知らないため、真理では無いことを求めるために引き起こされる。世の中が思いどおりにならない、望みがかなわないと思って、汚れた心を生み出させる。

 

・私たちが世の中の真理を理解し、真理へと向かうなら、誰もがやがて苦しみも汚れた心も無い世界に行くことができる。それが涅槃寂静である。

 

・財産や出世、名誉、長生きなどにこだわっていると、そのために汚れた心にまみれた人生を送ることになる。欲望のままに世の中の物事を追い求めることが無ければ、汚れた心の底なし沼に引きずりこまれることは無い。

 

・この世の中は様々な苦しみに満ちている。生きる悩み、老い、病気、死は苦しみ。愛する人や物とのわかれ、欲しいものが手に入らないのも苦しみ。とらわれる心から離れられない人の一生は、苦しみだらけだ。

 

・人生の苦しみは、汚れた心から生まれる。汚れた心は、強烈な欲望から生まれる。この欲望の正体は、生存本能による生きることへの強いとらわれだ。だから自分に有利なもの、良いものを見ると、欲しくてたまらなくなる。これが苦しみが生まれる原因だ。

 

・汚れた心の原因を取り除き、すべてのとらわれる心を捨て去ることができれば、苦しみの原因が無くなり、苦しみも消えて無くなる。そのためには、正しいものの見方、正しい判断、正しい言葉、正しい行動、正しい生活、正しい努力、正しい意識、正しい瞑想(めいそう)を行えば、苦しみを除ける。

 

・私たちは弱いもので、簡単に欲望の言いなりになってしまう。強い意志で誘惑を避け、心を修めるしかない。

 

・心が濁(にご)れば、言葉や行動も濁る。濁った言葉や行動は苦しみを次々にもたらす。だから心を清め、言葉や行動を控えめにすることだ。

 

・心を、貪(むさぼ)り、怒り、愚(おろ)か、のほしいままにしてはだめだ。自分でおさえて、心を乗っ取られないようにせよ。そうすれば心は私に寄り添い、私の言葉や行動を静かに見るだろう。

 

以上の三つの真理が、お釈迦さまの教えの基本です。

 

 

その他のお釈迦さまの言葉

 

・私だけの立場で物事の良い悪いを判断してはならない。好き嫌いの感情がわき、貪(むさぼ)り、憎しみ、心配、不満などが生まれ、それが恐怖を生み、それに縛(しば)られる。

 

・金が天からいくら降ってこようと、欲望は満たされない。欲を満たしても快楽は少なく、苦しみは大きい。

 

・他人がどれほど自分を攻撃しようが、怖(おそ)れることはない。自分自身の汚れた心のほうがはるかに自分を傷つける。

 

・悪いことを行い、悪いことを言い、悪いことを思う人は、自分自身を大切にしていない。行いも、言葉も、思いも正しい人こそ自分自身を大切にしている。

・真理を理解し、それを人に伝えても、行動しないならばニセモノと同じ。

 

・自分がされたくないことは、人にもしてはならない。

 

 

以上で法話を終わります。

 

 

この法話は、「マンガ 仏教の思想」(釧路市中央図書館にあります)と、

「岩波 仏教辞典」を参考にしました。


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