2013年(平成25年)8月13日(火) 若のお盆の法話 会場:弘宣寺 本堂
「お葬式は、なぜするのか」
お葬式の由来
・葬式仏教は、鎌倉時代のお坊さんたちによって、仏教式のお葬式を望む人々に対して行われた革新的な活動だった。鎌倉時代の前は、お坊さんがお葬式に出ることは「穢(けが)れに関わること」として禁止されたので、普通のお坊さんはお葬式に出なかった。
お墓を立てて、お盆やお彼岸などにお参りする私たちの習慣は、鎌倉時代のお坊さんの組織的活動によって始まった。
・昔のお坊さんは、天皇からお坊さんの資格を認められた官僚(国家公務員)だった。お経を唱える事で災いを鎮(しず)めて国を守るのが一番大事な仕事で、衣食住を保障され、兵隊になる事や税の免除などの特権がある一方で、穢れに触れてはならないという決まりもあった。なのでお葬式にお坊さんが出ると、穢れが消えるとされる30日間、謹慎(きんしん)しなければお坊さんの仕事ができなかった。なので、他のお坊さんが死にそうになったら、お寺に外の追い出す事が一般的だった。それがあまりに惨(みじ)めなので10世紀末には、お坊さんの間で団体を作ってお互いにお葬式をする共同体を結成するものが現れた。穢れを気にしないでお互いに葬送の協力を行うことを宣言した。
・官僚の身分の僧侶をやめたのが、浄土宗を作った法然や、浄土真宗を作った親鸞や、日蓮宗を作った日蓮や、曹洞宗を作った道元や、臨済宗を作った栄西がそう。官僚の僧侶の袈裟は白色だったが、官僚を辞めた僧侶は黒や黒染めだった。そうした人々が信者を増やしていって、「官僚を辞めた僧侶の教団」ができた。官僚の僧侶では無いので、穢れにおびえる必要が無いので、死と向き合うようになった。
・昔の日本は、「この世とあの世はつながっている。あの世は、この世の延長だ」と考えられていたが、官僚を辞めた僧侶は「極楽浄土」などの「死んだ後はまったく別の世界にいく」という革命的な考え方を作った。
・官僚を辞めた僧侶が、組織として葬式に取り組み、初七日、49日、100ヵ日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、三十三回忌を作った。そして、「お墓」というものを作った。人の死が、穢れたものから、仏になるものへと考え方を変えた。
・「死という穢れに触れてはいけない」という官僚の僧侶の制約から自由になり、死の穢れを気にしない官僚を辞めた僧侶の鎌倉仏教の教団によって、僧侶が葬式に関わる事、葬式仏教が始まった。
今のお葬式とは何か
・葬土葬は、死体を土に埋める方法である。日本でも明治時代には7割が土葬であった。現在は衛生上の問題でほとんど行われていない。現在は、日本国内の葬儀の99パーセントが火葬。
・人が亡くなった時にお金がかかるもので最低限これだけは必要なもの。
1「寝台車(自分の車でも運べるが現実的では無いから)」、2「棺(遺体を何かの入れ物に入れないと火葬できない決まりだから)」、3「ドライアイスなどの防腐処置(遺体を痛みから守るため)、4「火葬場の代金(火葬をするための代金)」、5「骨壺(遺骨を入れるため)」、6「人件費(手伝ってモラル人の費用)」。これだけあれば、お葬式をしないで直接に火葬場で火葬する「直葬(じきそう)」も可能。お葬式をしなく持て最低限の費用はかかる。
・病院の病室で家族が亡くなった時に遺族がしなければならないこと。
1「遺体を病院から運ぶ」。病院は「生きている人のためのもの」なので、亡くなった人はすぐに退出しなければならないルール。死亡診断書があれば自分の車でも運べるが、現実的では無いので葬儀社に連絡するのが一般的。どこの葬儀社がいいかわからなければ病院の紹介した葬儀社に寝台車を頼む事になるが、そのままその葬儀社でお葬式をすることになる場合が多い。病院は考える時間を与えてくれないそうです。しかしできるだけ「考える時間」を持つことが後悔しないために大切なので、遺体を運んだら、「お葬式は他の葬儀社も含めた中で考える」ことが大切らしいです。
2「遺体をどこに運ぶか決める」。葬儀社から必ず「ご遺体は、どちらにお連れしますか?」と必ず聞かれます。その時には「自宅」、「安置施設」、「葬儀会場」の3つです。遺族はどこにするかその場ですぐに決めなければなりません。
・遺族がお葬式の時に困る4つのこと。「連絡」、「お金」、「手順」、「処分」。
「連絡」とは、故人の死を誰に連絡したらいいのか。お葬式に来てもらいたい人への連絡。「仕事関係者で連絡しなければならない人は?」、「友人関係では誰に連絡すればまわりに連絡をまわしてもらえるか」などは、故人にしかわからないことです。現役で仕事をしている人は会社への電話一本でいいですが、定年になってから長い人、個人で仕事をしている人は、仕事関係で誰に連絡すればいいのかは家族は想像もつかない。だから生きているうちから家族に伝えておくべき。ここで大切なのは、「亡くなったという連絡をする相手と、お葬式に来てほしい相手とを分けて考えること」です。最近は少ない人数の家族葬が多いので、来る人の数を限定します。だから「お葬式の前は来てほしい人だけの連絡する」、それ以外の人は「お葬式が終わってから連絡する」といい。どこの葬儀社がいいのかが遺族はわからないので、生きているうちに葬儀社が決めた人は、その葬儀社の連絡先と、担当者名も家族に伝えましょう。「連絡先」を自分でちゃんと残しておかなければならない。
「お金」とは、お葬式の費用と、個人の財産がどこにあるのか。どのくらいお葬式にお金をかければいいのか。うちにはどれくらいのお金があるのかを、生きているうちに家族と話し合うべきです。お葬式の費用は、故人が「どんなお葬式にしてほしいか」よりも、「お葬式に来てくれた人に失礼が無いようにすることが大事」。だから「飲食費はケチらないほうがいい」。高い料理を出すのでは無く、料理が人数分よりも足りないということだけは、もてなしの基本としてあるべきではない。祭壇や、棺や、骨壺を豪華にしてお金をかけるよりも、料理を人数分足りることにお金をかけたほうがいい。自分のお葬式のために、どの銀行の口座にいくらあるのかを生きている間に家族に伝えておくことが大切。
「手順」とは、故人が亡くなったら、まずは何をすればいいのかということ。何も決めごとが無ければ遺族は途方に暮れるだけです。お葬式はこうしてほしい、ああしてほしいというのはきちんと家族に伝えておくべき。安心できる葬儀社に頼むためにも、生きているうちに自分が選んで決めると遺族が困らない。
「処分」とは、故人の生きていた証の整理作業。捨てていい物は何か、取っておくとしたらどこに取っておくのか。社会的な手続きの関係も、何をどうすればいいのかを家族に伝えておかないとものすごくたいへんな思いをする。
「自分が死ぬ時は」、「自分が死んだ後は」と考える時は、それよりも先に「残された家族のこと」を考えましょう。亡くなった瞬間から家族はバタバタの連続が始まります。
・病室で亡くなる→近親者への連絡→葬儀社(寝台車)の手配→すぐに遺体を運ぶ。死亡診断書も必ずもらう→葬儀社の担当者と葬儀の日程や式場など細かい部分まで打ち合わせる→葬儀の日程と場所が確定したら親族や関係者へ葬儀の案内→自宅で遺体を棺に入れる。故人を白装束に着替える→お通夜の1時間前には式場に集合し、届いた花を飾る並び順や、焼香の順番を確認します。葬儀社を交えた受付や会計係との打ち合わせをします。料理や返送品に不足が無いかどうかも確認しておく→親族は祭壇の前に着席して、お坊さんを待ちます。お坊さんが入場して、お経を始めます。お坊さんが退場したらお通夜の終了です。お通夜が終わったら参列者を料理でもてなす「通夜ぶるまい」をする場合があります→本来「葬儀」とは「葬送儀礼」の略で、遺族が故人を見送る儀式をいい、知人が故人に別れを告げるという意味の「告別式」とは別に見られていましたが、現在では同時に行われることが普通です。お葬式の1時間前に集合し、受付とか衣装係の確認、お通夜の後に届いた花の並び順を決めるなどの作業をします。お通夜と同じように親族は祭壇の前に着席し、お坊さんのお経、焼香を行います→お葬式が終わったら、棺に故人の愛用品や花を入れ「最後のお別れ」をして、火葬場へ向かいます。火葬場へは棺は霊柩車で、同行者はバス(マイクロバス)で向かうのが一般的です→火葬がすんだら、その場で遺族によってお骨を骨壺に納める「お骨上げ」を行います。骨壺を持って、会場へ向かいます→お骨を火葬場から会場(自宅)に戻すことを「還骨(かんこつ)」といいます。お坊さんが来てお経を唱えます。初七日、49日、100ヵ日の取り越し法要も行います(釧路の場合)。
以上でお葬式の終了です。臨終からお葬式が終わるまで、やるべきことがたくさんあります。遺族はそのたびに葬儀社とお坊さんと親族同士で「緊急打ち合わせ」を繰り返さなければならなくなります。そしてお葬式の間中、各関係者、参列者に気を配り続けなければならないのです。「悲しんでいる暇も無い」、「わけがわからないうちにバタバタと終わってしまった」とお葬式を終えた遺族からこのような声がよく聞こえるのも、お葬式の「プログラムの多さ」と、「人を招く場」ということが原因です。このような一大イベントを、遺族だけで取り仕切るというのは無理な話です。だからこそ信頼できる葬儀社に寄り添ってもらい、リードしてもらうことが重要なのです。
お葬式はプログラムが目白押し。とても遺族だけで仕切れるものではない。
・注目される小さなお葬式:昔は、できる限り豪華な祭壇を用意して、できる限り多くの参列者を集めること、すなわち「できる限りお金をかけることが良いことだ」という考えがありました。「お葬式を安くあげる」ということは、故人に対しても、参列者に対しても失礼なことで、家の恥であるというとらえ方です。しかし最近の不景気のせいでお葬式の常識はガラッと変わってしまいました。長引く不景気の影響や、宗教心(あるいは宗教的習慣)の希薄化、親類・地域住民との「人づきあい」のスタイルの変化から、お葬式に莫大なお金を費やすという姿勢が見直されています。「無理をして盛大なお葬式をするよりも、質素でこじんまりとした『小さなお葬式』がやりたい」という思いが高まったのです。実際に首都圏で行われるお葬式の約7割がこういった「小さなお葬式」であるといわれています。しかし「お葬式なんてどうでもいい」という時代になったのではありません。むしろ「お葬式についてちゃんと考える」という風潮になってきた結果、こういった小さなお葬式が流行しているのです。誰がきちんと考えているのか。故人が生前に考えているのです。「家族の高い葬儀代で負担をかけたくない」、「別に豪華な葬儀を出してもらいたいと思わない」、「葬儀社の言いなりにはなりたくない」、「自分のお葬式のスタイルは、自分で決めたい」、そう考える人が増えた結果、小さなお葬式に注目が集まりました。
・3つの小さなお葬式:一番お金をかけないのが「お葬式そのものをしない」ことです。病院から火葬場に行き、弔問客もお坊さんも呼ばずに、限られた遺族だけが火葬に立ち会うというやり方。一般的には「直葬(じきそう)」と呼ばれています。地域のしきたりや慣習などが希薄な都会では急増しています。
直葬の次に簡単でコンパクトなやり方は、「1日目:お通夜」、「2日目:お葬式」と2日間に渡るのを、お通夜をせずにお葬式だけの1日ですませるというやり方です。祭壇も用意し、お坊さんも呼びます。このように「お葬式を行わない」、「お通夜を行わない」と決まった形をやらずに小さなものにするというのは現在は普通の選択になっています。それに対して、決まった形はやるけれど参列者の人数を減らすことで小さなものにしようとするのが「家族葬」です。文字通り、家族や親戚を中心とした、ごく親しい人だけが参加するお葬式で、昔は「密葬(みっそう)」と呼ばれていたものです。家族葬とは「家族だけでする」のではなく、あくまでも「家族を中心とした、参列者を限定したお葬式」ということです。だから10人であろうと、100人であろうと、遺族が限定して直接にお葬式に呼んだ人であれば家族葬になります。「誰が来るかわからない」という今までのお葬式と違います。人数が把握できるので、「おもてなしの費用」にもムダがありません。お葬式に対しては「故人がお世話になった人は、葬儀に呼ばなくては失礼にあたる」、「でも誰にお世話になったかはよく知らない」、「だから、多くの人に呼びかけて、多くの人に参列してもらうべきだ」、「一大事である『家族のお葬式』を、身内だけですますのは、まわりに義理を欠く」などと思う人がいますが、これも今は「古い考え方」です。故人の知り合いにお葬式を伝えなくても、遺族がいま自分のお世話になっている人(会社の上司など)にお葬式の案内をしなくても「失礼」にはあたりません。なぜなら、これら「小さなお葬式」は「お葬式は仕方なく参列するもの」という「人の本音」に合っているからです。つまり「お葬式とは急に呼び出されるもの」、「義理を欠かないならば、行かずにすませたい」ということです。遺族側の「なるべくお金をかけたくない」という思いと、呼ばれる側の「できることなら行かなくてすませたい」という思いに合っているからこそ、小さなお葬式は急増し、これからも増えていくでしょう。この小さなお葬式のやり方は、遺族の声に葬儀社がこたえたというものではありません。不景気や、人間関係の希薄化を見てとった葬儀社が「廉価版のお葬式」として考え出した、葬儀社発のアイデアなのです。
・「火葬だけをする」という「直葬」は、都会を中心に全国で急増しています。しかし地方では、「お金をかけて立派なお葬式をすることが、故人や先祖への気持ちの表れ」、「『家』として恥ずかしいことはできない」、「『地域として』大勢で故人を送り出すべき」という考え方が根強いので、これは簡単に変えられるものではありません。「直葬」を選んだ場合は、こういった考え方の違いから来る親戚とのもめごとです。また「直葬」は安くすむので葬儀社もあまりやりたがりません。しかし火葬だけとはいえ、そこに「見送る側」の想いがあれば何も問題ありません。宗教的儀式をまったくやらなかったことで後悔する遺族も多いので、葬儀社と相談して、小さな机での祭壇や、お坊さんのお経を加えることなどもできます。「直葬(火葬だけ)というのはうしろめたい」というのは、もはや今の時代には合っていません。
・一日葬は、お通夜をしないでお葬式だけをするので、お通夜にかかる料理代、返礼品代、さらに一日ですむので遠くから来る親戚の宿泊費などが減らせるという「経済的な負担」を減らせることが魅力です。お葬式はちゃんとするので、「直葬」に抵抗のある家には人気のやり方です。しかし「お通夜をしない」ということを「非常識。故人にとっても参列者にとっても失礼だ」と考える人は、まだまだたくさんいます。今までの「しきたり」を大切にする人は、何かを省略すると「手抜きだ」と感じる場合があります。なお一日しかしませんが、前日から準備をするので会場費は普通のお葬式と変わりません。
・直葬は、もともとは亡くなっても身元がハッキリしない人や、生活に困ってじゅうぶんな葬式代が出せない人のためのものだった。それが一般の人のお葬式にも使われるようになり、現在、東京では20パーセントが直葬と言われて。地方ではまだ、5パーセントから10パーセントくらい。2007年(平成19年)くらいから、葬儀社の間で「直葬というやり方が出てきた」と言われ始めた。
・家族葬は、来てほしい人だけを呼ぶが、呼んだ人からお葬式の話を聞いた人が「義理だ」と思って来る可能性があるので、本当に「来てほしい人だけ」でお葬式をすることは不可能。だから「お葬式が終わるまでは、呼ぶ人以外には絶対にお葬式の話はしない」、「呼ぶ人にも、できるだけお葬式をすることは黙っていてもらう」ことが必要です。さらにほとんどの人はお葬式をしたことを知らないので、最後のお別れができなかったので、故人の死を知った人が自宅にたくさん訪ねてくる可能性があります。だから故人や遺族が知り合いが多い場合は、家族葬は現実的に不可能です。また家族葬を理解してくれない親戚もいます。
・明治時代の終わり頃に土葬から火葬に変わっていった時は、ほとんどがお葬式が終わってから火葬していましたが、今は全国的に4割がお葬式の前に火葬をしています。北海道(函館など)、東北で多いそうです(釧路はお葬式の後に火葬します)。雪が多い地域は冬に亡くなってもお葬式に来れない人が多いので、先に火葬して春になってからお葬式をします。
・友引は「死者が友を連れて行ってしまう」と考える迷信のせいでお葬式をしないと言われていますが、実際は友引には火葬場が休みになる地域が多いのでお葬式ができないだけです。ただ友引を休みにしている理由は迷信の影響が多いと思います。
・不祝儀袋の「御霊前(ごれいぜん)」と「御仏前(ごぶつぜん)」の違いは、仏教では四十九日法要が終わってから仏になると考えられているので、お通夜やお葬式や四十九日法要ではまだ仏になっていないので「御霊前」。四十九日法要が終わってからは「御仏前」になります。ただし浄土真宗では「南無阿弥陀仏と唱えた瞬間に仏になることが決定する」と考えられているので、お通夜でもお葬式でも四十九日法要でも「御仏前」を使い、「御霊前」は使いません。
・焼香の宗派別の回数。浄土真宗本願寺派:1回。浄土真宗大谷派;2回。浄土宗:1回から3回(特に決まっていない)。真言宗:3回。天台宗:1回もしくは3回(特に決まっていない)。日蓮宗:1回もしくは3回(特に決まっていない)。日蓮正宗:3回。曹洞宗:2回。臨済宗:1回。
・喪服とはもともと「遺族が喪に服していることを表す服装」のこと。なので参列者は喪に服するのではなく、故人を偲ぶために失礼に当たらないよううな正装をするという考え方が正しい。
・北海道はお通夜やお葬式の香典に領収証を出すが、北海道以外ではこういった習慣は無い。だから目の前で香典を空けられて「○○さん、5,000円」と書いた領収証をもらうと、北海道以外の人はとても驚く。例えるならば、子供にお年玉をあげたら領収証をもらうような感じです。合理的な北海道民ならではの習慣です。
・お葬式の「おまんじゅう」は全国的に普通のおまんじゅうを使うが、北海道だけは「中華まんじゅう」を使う。
・北海道では、新聞にお通夜とお葬式の日時を載せる「死亡広告」をみんな使いますが、こうした習慣は他には沖縄だけで、それ以外の地域では、政治家や作家や大きな会社の社長などの有名人しか死亡広告を使いません。
・全国では99パーセントが火葬だが、残りの1パーセントは今でも土葬をしている。宮城県、栃木県、山梨県、岐阜県、鳥取県、高知県では、一部の地域で土葬をしている。
お葬式の意義・問題点
・父の葬儀には親戚らが多く集まり、めったに会わない親戚と会えた。葬儀が個人の死を親戚縁者へ「告知」し、死を社会的にも受け止めさせる大きな意義を再確認させられた。
・しかしながら、日本の仏教は、ともすれば「葬式仏教」と批判されがちである。その言葉は、日本の仏教者、特に僧侶が、葬式と法事にかまけ、高い戒名料や葬儀代をとって、人々の救済願望にこたえていないことを揶揄(やゆ)するものである。たしかに、一般の人が寺院に行き、僧侶に会うのは、葬式と法事のときくらいかもしれない。近年「葬式は、いらない」といった本が注目されている。その背景には、寺院・僧侶が葬儀料・戒名料などを高く取りすぎている点への根強い批判がある。
・東京都ほぼ物価が同じのイギリスのロンドンの教誨では、葬儀代の平均が年13万円くらい。その中の、神父や牧師の取り分(お布施)は、約1万円。
・よりはっきり言うならば、葬式仏教は仏教の堕落した姿だと考えられている。僧侶を招かない自然葬や、お墓や納骨堂に入れない散骨などは、葬式仏教への批判が込められている。
・日本消費者協会が2007年(平成19年)に行った「葬儀についてのアンケート調査」で、葬儀費用の全国平均は231万円。内訳は、葬儀社への支払いが約140万円、飲食接待費用が約40万円、お布施や戒名・院号代が約51万円。世界と比べてみても、アメリカの葬儀費用は約44万円、イギリスは約12万円、ドイツは約19万円、韓国は約37万円(すべて1990年代前半のもの)。
・結婚式では、昔は媒酌人(ばいしゃくにん)が必ずいた。媒酌人が相手を見つけてきて見合いの場を作り、お互いの気持ちも媒酌人を通して伝える。恋愛結婚が多くなりその必要が無くなっても、結婚式では形だけの媒酌人をたてる習慣が残った。しかし1990年代の入り、媒酌人をたてない結婚式が急に増えて、今ではそれが当たり前になった。たった10年くらいで結婚式の習慣が変わった。この結婚式の変化と、最近のお葬式の変化は、深いところでつながっている。「家」というものの重要性が失われてきたことが影響している。結婚式は昔は、二人の男女の「故人の結びつき」であると同時に、「家同士の結びつき」だった。それが「家同士の結びつき」が弱くなっていくと同時に、媒酌人の存在もいらなくなった。葬式も、「家の儀式」から、「故人の儀式」へと変わってきた。
檀家さんへのお葬式のアンケート(15通)
1、 お葬式は、なぜしたのですか?
・絶対に必要だからお葬式をした:3
・みんながしているからなんとなくした:1
・お葬式以外の方法が無かった:8
・その他:3
2、どういう内容のお葬式にするかを納得して決められましたか?
・じっくり考えて納得して決めた:4
・よくわからないから言われるままに決めた:9
・その他:2
3、お葬式について普段から考えたことがありますか?
・葬儀会社に見積もりを取ったり、お寺にお布施の金額を聞いていた:2
・前もって考えたかったけれど、なかなか考えられなかった:6
・縁起が悪いのでお葬式のことなど考えたくない:0
・その他:7
4、お葬式は身内が亡くなった悲しみや苦しみを癒(い)やしましたか
・悲しみや苦しみをすごく癒(い)やされた:2
・悲しみや苦しみを少し癒(い)やされた:7
・何も癒(い)やされなかった:4
・その他:2
5、お葬式に満足しましたか? 不満がありますか?
・満足した:7 ・少し満足した:2 ・少し不満がある:2
・不満がある:4
6、満足したこと、不満なことは具体的になんですか?
「お葬式は葬儀会社がするものと思っていたため、家族はお金を出すだけだとおもっていた」、「すべてプロの方が段取りして、まかせていましたから、有難いと思いました。ただただおろおろしていました。後片付けや、(申請書や手続き等)その他、分かりやすく教えて頂きました」、「葬儀会社では全部やってくれたので良かった。葬儀後も花を届けてくれた。お寺のお布施が少し高いと思った」、「全体的に費用が高すぎる」、「お坊さんのお話が良かった」、「故人の意思の通り近親者のみで、ひっそり行う事ができた」、「父は私とはちがい佛様の事は熱心でしたのでおかげ様で無事に何事もなく満足でした」、「沢山の人が、参列してくれた」、「葬儀社の営業に流されてしまった。分相応な方法があった様に思う」
7、お葬式をする意味や理由を知っていましたか?
・知っていた:10
・知らなかった:2
・その他:3
8、これからのお葬式はどうなっていくと思いますか?
・たくさんの人数が来る大きなお葬式が多くなると思う:0
・少ない人数の家族葬が多くなると思う:13
・その他:2
9、今のお葬式のやり方でこれからも通用すると思いますか?
・通用すると思う:5
・今のままでは通用しないと思う:5
・その他:5
10,お葬式についての意見や感想をご自由にお書きください
「兄弟が少ないので、高年齢となる子供達は地方に住むため、親の所に来る人はほんの一人だけではないだろうかと思う」、「今後は横のつながりも無くなり、簡略化されてしまい、先祖の事など忘れて行く様に思いますので、子供達にはしっかりと伝えて行きたいと思ってます」、「正直、戒名の高額に驚きました」、「戒名は必ずつけなければならないものなのでしょうか? 亡くなっても俗名ではだめなものでしょうか。戒名代が高額で大変です」、「外見にこだわる事なく、故人を中心としたお葬式にしたい」、「特に人まかせではなく、見積もり、お布施などの事は聴いておく事が必要。非常に大切である」、「すごく沢山のお金がかかる事。もっと安くて、明るい家族葬みたいにしてみたい」、「葬式だけでなく、後の負担が大きく当事者になって始めて向き合う事が多いし、数字的に不明な事が多すぎる」。
以上でお盆の法話を終わります。
・この本を参考にしました。
「葬式仏教の誕生」平凡社新書、700円。
「あなたのお葬式」日本経済新聞出版社、1300円。
「お葬式の雑学」扶桑社新書、700円。