「教養としての仏教」

2023年(令和5年)813() 午前11時 会場:弘宣寺 本堂

弘宣寺 住職 八村弘昭(やつむら ひろあき)

 

1、「少欲知足(しょうよくちそく)」

 

 足るを知ること。多くの物やお金を欲しがらず、現状に満足しようと自覚すること。欲張らず、与えられた環境を素直に受け入れることで心穏やかに過ごすことができる。

 

 日産自動車のカルロス・ゴーンが2018年に逮捕・起訴されました。ゴーンは1999年に経営難にあえいでいた日産のCOO(最高執行責任者)になり、経営再建策の「リバイバルプラン」によって会社を建て直しました。ゴーンは給料も高く、2009年度から2011年度には10億円台、2012年度には20億円ももらっていました。それでももっと高い給料を欲しがったゴーンは、有価証券報告書に正しい給料を書かねばならないのに少ない金額を書き、合計で約50億円もごまかしました。それがバレて、逮捕・起訴されたのです。この時にあるニュースキャスターが「ゴーンさんは、足るを知らなかったのでしょうね」と言いました。足るを知るとはどういうことか。仏教の経典には「少欲知足」が説かれています。少欲とは、多欲の人は多く利を求むるがゆえに苦悩も多い。少欲の人は求めることなく、欲もないので、多欲の人より憂いが少ないということです。知足とは、足ることを知る人は、貧しいが心は豊かだ。足ることを知らない者は、常に五欲にとらわれ、足ることを知る者から憐憫(れんびん。あわれむこと)の情をかけられることです。他の経典にも「たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない。『快楽の味は短くて苦痛である』と知るのが賢者である」、「たとえヒマラヤの山にひとしい黄金の山があったとしても、その富も一人の人を満足させるのに足りない」と書かれています。ゴーンも、すでにじゅうぶんに高い給料に満足していれば、捕まることもなかったでしょう。「もっと、もっと」と欲しがった結果、すべてを失ってしまいました。

 

 仏教では、人間には根源的な5つの欲望があるとしています。財欲(カネや財物に対する欲)、色欲(性欲)、飲食欲(おんじきよく。食欲)、名欲(名声欲)、睡眠欲(ずいめんよく。サボりたい気持ち)の5つです。この5欲を完全に抑えることは不可能です。お釈迦さまも、欲を求めすぎることも、禁欲が過ぎるのも戒めています。つまり禁欲もまた、「欲へのとらわれ」であるからです。そこで仏教では、中道を保つことが大切になってきます。中道とは「極端を求めない」ということで、少欲知足という考えが大事になってきます。心という器は、コップのように容量が決まっているわけではありません。つまり、決して満たされることはないのです。したがって、満たそう、満たそうと思えば思うほど、際限のない欲望の淵へと墜ちてしまいます。「知足」とは、求めるよりも、今与えられたものに対して、「十分である」と気づくこと。与えられたものに対する感謝の気持ちを持つことで、心の器は満たされるのです。

 

2、「中道(ちゅうどう)」

 

 節制。二項対立を離れ、両極端を避けて、何事にも偏りのない生活を送ること。

 

 なぜ働くのか。これを突き詰めていけば、「なぜ、自分が存在するのか」、「何のために、生きる(死ぬ)のか」という考えにたどり着くはずです。自分の存在意義や生きる意味がなければ、働く意味など成立しないからです。つまり、働く意味を通して、あなた自身の死生観を見つめることが、とても大切なのです。「あなたはお金のために生きるのですか?」、「自分の欲求を満たすために、生きるのですか?」、これが大切です。生きる意味は、多くの著名な哲学者や、経済学者や、歴史上の偉人が考え抜いてきました。しかし、賢人とて、生きる意味を見出すことができませんでした。真言宗を作った空海は、こう言っています。「人は何度も生まれ、死んでいくが、なぜ生まれてきたのか、なぜ死んでいくのか誰も知らない」。 それではお釈迦さまが説いた人生論とは何でしょう。「この世は苦であり、苦から解放されるためには、両極端に走らず、中道をいくことである。その中道とは具体的に、正しい道の実践である」と言っています。中道の教えとは、バランスのとれた立場で、客観的に状況を把握し、何が適正化を判断し、正しい日々を送る、ということになるでしょう。

 

3、「利他(りた)」

 

 謙虚に生きる。自分より他人に対して利益を与えることを優先させること。

 

 京セラという会社を作った稲森和夫は、こんなことを言っています。「利己、己を利するために、利益を追求することから離れて、利他、他人をよくしてあげようという優しい思いやりをベースにして経営していきますと、会社は本当によくなります」。稲森は、京セラやKDDIを作り、経営難に陥っていた日本航空を立て直すなど、「経営の神様」とも呼ばれている人物です。「利益を上げながら、一方で利益に対する執着を捨てよ」というのは、一見、矛盾しているように思えます。一体、どういうことでしょうか。稲森は、1997年に禅寺で修行をして僧侶の資格を得ています。その時に、「利他の心」を感じ取ったのだと思います。稲森は、「利他の精神がなければ、企業は没落する」と言っています。「自己の欲望を満たすという一点張りで、策を弄(ろう)するならば、相手も必ず『自分だけうまくいくように』と考えて、利己的な対抗策を打ってきますから、そこには必ず軋轢(あつれき)が生じてまいります。また、利己的な欲望を原動力として、事業を成功させればさせるほど、経営者は謙虚さを失い、驕(おご)った態度で人に接するようになります。そして、それまで会社の発展に献身的に働いてくれた社員たちをないがしろにするようになってきます。そのような謙虚さをなくした経営者の姿が、やがて社内に不協和音を生じさせ、ひいては企業の没落を招く原因となっていきます」と言っています。つまり、経営に向き合う社長の姿勢により、そこで働く社員の行いも変わってくるということです。「さらに深刻なのは、経営者があまりに利益の追求に終始して、『人間として何が正しいか』という基本的な倫理をなおざりにした結果、法律や倫理を逸脱したり、会社にとって不都合な事実を隠蔽したりして、社会から糾弾を受け、退場していくことがよくあります。このように、利己的な欲望をベースとして、会社を起こし、苦労を重ね、せっかくすばらしい企業を築きあげた経営者が、やがて自身の利己的な心によって企業を衰退させ、晩節を汚すという例は、世界中で枚挙にいとまがありません」と言っています。稲森の言葉を借りれば、利他の実践が今の企業経営には欠けているのではないでしょうか。

 

 ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサは、利他を貫いた人物です。多くの貧困と向き合い、自己犠牲の精神で人々と寄り添ってきました。ある時マザー・テレサは、8人の子どもを抱える貧しい家庭を訪れました。その家族は今日明日の食事もままならない状態で、命の危険にさらされていました。マザーが家族8人分のお米を差し出すと、母親はその半分を持って外に出て行きました。驚いたマザーがその理由を聞けば、母親は「隣人も腹をすかせているから、半分分けてあげました」と返事をしました。米を隣人に分けることで、自分や家族が命の危険にさらされる可能性があるにもかかわらずにです。それを聞いて感動したマザーは翌日、再びその家庭に米を持って行きました。真の利他とは、いっさいの見返りを求めない慈しみの行為であるということができます。これを「慈悲(じひ)」ともいいます。

 

4、「縁起(えんぎ)」

 

 無数の因縁が影響し合って「私」をつくり出すこと。あるいは、すべての現象は、原因や条件が相互に関係し合って成立している状態を指す。

 

 ひと言で縁起を説明するならば、「この世のすべての現象は、原因と結果(因果)で生じている」ということになります。たとえば「最近、仕事がうまくいっていない」とするならば、それは「たまたま、うまくいっていない」ということではないのです。必ず何らかの原因があり、悪い条件が関係し合って、仕事が行き詰まっている。そこで、仏教的な解決法を探ると、「因果関係を明らかにして、その原因を取り除きましょう」ということになります。普遍的であり合理的であり科学的な教えが、仏教なのです。日常生活やビジネスの中で因果を意識して善い行いを実践することは、実はとても難しいことなのです。社会生活では多くの利害関係が絡み合い、理想と現実の乖離(かいり)は大きくなることが少なくないですから。

 

 近年、企業の不祥事が相次いでいます。経営者や社員が逮捕されるケースも見られます。そうした企業はイメージがダウンし、株価や売上げが下がり、最悪、倒産してしまう企業もでてきています。やはりこれも、縁起の考え方に照らし合わせれば、「因果応報」ということになります。縁起とは、言い換えれば「つながりを意識する」ということなのかもしれません。企業経営はこれまで経営を支えた歴代経営者や従業員、またはステークホルダー、あるいは顧客、多くの縁起があって、今の事業が成立している。そういった意識を持ち、普段の仕事に取り組むべきでしょう。

 

5、四法印(しほういん)

 

 仏教の真理である三法印(諸行無常印、諸法無我印、涅槃寂静印)に「一切皆苦印(いっさいかいくいん)」を加えたもの。

 

 まず「一切皆苦」」から説明しましょう。文字どおり「この世のすべては苦しみである」ということです。「一切皆苦の真理なんて、食うに食えなかったお釈迦さまの時代の話。今の日本の社会に当てはめることは無理がある」と考える人もいるでしょう。しかし、それはまったくの幻想です。お釈迦さまが生きた2500年前だろうと、この飽食の時代だろうと「この世は一切皆苦」であることに、なんら変わりはないのです。「四苦八苦」という言葉があります。生老病死の四苦と、「愛別離苦(あいべつりく。愛する者と別れる苦しみ)」、「怨憎会苦(おんぞうえく。嫉妬や恨みを抱き、あるいは憎むべき対象に出会わなければならない苦しみ)」、「求不得苦(ぐふとっく。何かを求めても、得られないことの苦しみ)」、「五蘊盛苦(ごうんじょうく。肉体や感覚に執着すればするほど、苦からは逃れることができない)」の四つを加えて八苦です。この世のすべてが苦しみに満ちており、四苦八苦は避けることができないことが理解できたのではないでしょうか。仏教真理を知るためにはまず、「一切皆苦」を知ることが第一です。

 

 次に紹介するのは「諸行無常(しょぎょうむじょう)」です。すべての行いは移ろいゆく存在であり、永遠に不滅のものは何もないという考え方です。中小企業では、開業後、1年経過後に企業が存続している確率は約72%3年後になれば約50%10年後には約26%です。起業して、100周年を迎えられる企業は1%あるかないか、とも言われています。いくら経営戦略が優れていようと、カリスマ経営者が率いようと、高収益を上げていようと、永遠に継続する企業などは存在しないのです。冷めた見方をすればあなたの会社は、遅かれ早かれ消えてなくなります。信じたくないでしょうが、これは避けられない運命です。物事は急激なスピードで移ろい、変化していき、同じところに留まることがない。これを禅宗の言葉で「無常迅速(むじょうじんそく)」と言います。ですから、あなたには、今いる環境にとらわれ、翻弄されることなく、何ものにも執着することなく、常に中道を保つべく過ごしてもらいたいものです。

 

 次に「諸法無我(しょほうむが)」は、「すべての事象には、永遠不滅の主体(我)がない」ということです。「私」という存在の否定ということです。今を生きる「私」は、頭から足の先まで様々な部位で構成されていて、何兆という細胞の寄せ集まりです。当然のことながら、先祖や親がいてそのDNAを受け継いでいます。「私」は教育を受け、社会に出て、国家や組織の枠組みの中で生かされます。その「私」もいずれ老い、病み、死んでいきます。しかし、そのDNAは子孫に受け継がれていく。つまり「私」は常に、様々な影響を受け、肉体的にも精神的にも常に変化しながら存在している総体なのです。そこに「私」という実体はありません。にわかには信じがたい考え方かもしれませんが、仏教ではそうとらえられています。あらゆる苦しみは、「私が存在する。私の存在を脅かすものから逃れたい」という観念から生じるものです。翻(ひるがえ)って、「すべてに実体がない=諸法無我」としてとらえれば、苦しみから逃れられるのです。会社にたとえてみると、わかりやすいです。「会社とは何か」と定義してみましょう。「私」と同様に、会社は会社という「それそのもの」は存在しません。まず、会社をおこした創業者がいて、社屋を建てる土地や資産があって、志を共にする仲間や従業員がいて、従業員や家族を支えるための給与制度や福利厚生があり、休暇があり、利益をもたらしてくれる様々なステークホルダーがいて・・・。事業を成立させる歴史や環境、様々な出会いがあって、はじめて「会社」と呼べるのではないでしょうか。仏教真理では「会社」という実体もまた、「ない」のです。諸法無我の考え方をビジネス哲学に置き換えるとするならば、「会社は、組織を成立させるために多くの関わりがあり、支えられて存在する。自社だけの利益を求めるのではなく、社会の中で共存共栄していくのが本来の企業のあり方」という発想になってしかるべきかと思います。

 

 最後に「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」です。一切皆苦、諸行無常、諸法無我という真理を知り、「私への執着」を捨て、煩悩の炎が消し去られると、絶対的な安らぎ・悟りの境地、つまり涅槃寂静が訪れるのです。仏教の最終到達点です。そのためには、正しい日常の行い(八正道)を実践する必要があります。「正しい見解(諸行は無常であるということを理解し、何に依ることもないものの見方をすること)」、「正しい考え(我欲や怒り、憎しみなどを捨て、他者を害さない中立的な考え方をすること)」、「正しい言葉(嘘をついたり、二枚舌を使ったり、自己に都合のよいことばかりをいわないこと)」、「正しい行い(むやみに生き物を殺したり、盗んだり、異性関係の乱れなど、人としてやってはいけないことをしない)」、「正しい生活(罪を犯さず、すでに犯した罪は繰り返さないようにし、正しい生活をおくるよう励むこと)」、「正しい意識(何ものにも惑わされることなく、物事の本質を見極め、仏の真理に向かって邁進すること)」、「正しい注意(瞑想などで心を集中させ、煩悩を断ち切り、涅槃へと導くこと)」。この8つの行いをすることで涅槃寂静になれます。

 

以下の本を参考にしました。

 

・「ビジネスに活かす教養としての仏教」(鵜飼秀徳。PHP研究所。1600円)




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