「空海」
2025年(令和7年)3月20日(木) 午前11時 会場:弘宣寺 本堂
弘宣寺 住職 八村弘昭(やつむら ひろあき)
空海の人生
空海が作った真言宗は「密教」と言います。これは「秘密の教え」、または「深遠なる教え」という意味です。秘密というのは「目の前にありすぎて気づかなかった」ということで、何に気づいたのかと言うと「自分の中にすでに仏があった。でも深淵でわからなかったんだ」いうことです。密教は、インドで仏教が生まれて、「上座部」と「大乗」に別れて、その大乗の最終的な形です。自分の中に仏があるとは、仏教では「人を思いやる心」を「慈悲」と言います。その慈悲がすでに自分の中にあることを気づくことです。私たちの生活は、たくさんの人の協力によって成り立っています。だからたくさんの慈悲がこの世の中に満ちていると言えます。弘宣寺の浄土真宗では阿弥陀如来が一番大切ですが、密教では大日如来が一番重要です。大日如来は宇宙最高の仏で、太陽を神格化した仏です。この世にあるすべてが、土や草花、空も海も鳥も獣も、そして様々な神仏も、私たち人間も大日如来に由来しています。大日如来は、宇宙そのもので、同時に我々の中にあり、我々を作り上げているのです。
密教がインドで生まれて、「大日経」を中心とする流れと、「金剛頂経」を中心とする二つの流れが出来ました。そしてそれは中国に伝えられました。同じ密教とはいえ、この二つはかなり異なる教えです。密教を受け継いだ中国人の僧侶の恵果も、その両方を伝授できる人材になかなか出会えずにいましたが、そこにあらわれたのが、才能あふれる日本人の留学僧・空海でした。恵果は喜んで二つの密教を空海に伝えたのです。そして空海は、ただ受け継いだだけではなく、二つの流れを統合し完成させました。こうして正統で完成した密教が、日本で生まれたのです。
密教は日本では、空海が作った真言宗と、最澄(さいちょう)が作った天台宗でやっています。最澄は、中国仏教である天台宗に密教を導入した最新型天台宗を、空海はインド直流仏教の最終形である密教二つを受けて統合し、日本に根付かせました。そして両者を母胎として、たくさんの宗派が生まれ、日本仏教は展開していったのです。
空海は774年、現在の香川県善通寺市で生まれました。子どもの頃の名前は「真魚(まお)」と言いました。18歳で長岡京か平城京にある大学に入学します。儒教を学び、官僚になるための学校です。この大学を卒業したか退学した後に、僧侶になりました。そして唐(中国)に20年ほど学びに行く「留学僧」に選ばれました。この当時に中国へ行くことは、死を覚悟して行く旅でした。実際、空海は1度目の船は難破しています。唐の都の長安に着いた空海は、インドのサンスクリット語やインド哲学を学びます。そして青龍寺の恵果と出会います。出会って3ヶ月で二つの密教を受け継ぎました。その4ヶ月後、恵果は亡くなりました。「早く帰国して密教を広めなさい」という恵果の遺言を守り、空海は日本に帰ることにしました。20年学び続けなければならないのに、わずか2年で帰るということは日本の法律を破ることになります。帰りの船も、定期的では無いのでいつ来るかわかりません。しかし運命のように、すぐに遣唐使が長安にやってきたのです。この遣唐使船に乗り、日本に帰りました。
日本に帰った空海は、約束よりものすごく早く帰ってきたために首都の平安京(京都)には入れませんでした。しかし3年後に許されました。
天台宗(比叡山)を作った最澄と出会った空海は、密教の経典を何回も貸しました。そして最澄は空海の弟子になりました。しかしある経典を借りたいと最澄が言った時、空海は断りました。「密教の真理は、文字上の理解によるものではなく、師が弟子に心で伝えるものであり、実習によって体得するものである」という考えだったからです。そして最澄が自分の後継者に考えていた弟子を空海のもとに学びに行かせたら、そのまま空海の弟子になり帰って来ませんでした。これが決定的な出来事になり、空海と最澄は決別しました。
816年、空海は高野山にお寺を作ることを天皇に許可されました。このお寺が現在まで続く真言宗の本山です。そして讃岐(香川県)の満濃池という巨大なため池を責任者として改修しました。このため池は現在でも使われています。823年に平安京(京都)の東寺のトップになりました。密教により、国家と天皇を護る役目でした。空海はこの時50歳でした。最澄はこの前年に56歳で亡くなっています。高野山と東寺の事業を中心としながら、この時代は庶民が大学に入学するのはものすごく難しいことでしたが、空海は一般庶民も入学できる大学を作りました。仏教の他に、道教や儒教、歴史や文学、書、インド哲学など、様々な学問を教えていました。この学校で学ぶものには衣食住を与え、学問だけに集中できるようにしたのです。空海の死後に閉校し、18年間だけの大学でしたが画期的なことでした。835年、空海は亡くなりました。86年後、「弘法大師(こうぼうだいし)」という名前を頂きました。
空海は、日本を代表する書道の名人でした。
空海の密教
空海は「自分を大切にしなさい」と言いました。自分の中の仏にすべてを委ねて、自分を捨て去る。その先に新しい世界が立ち現れるという考えです。その新しい世界は、俗なる自分を否定して顕(あらわ)れた「聖なる自分」です。しかし同時に今の自分そのままなのだと言います。そのことに自分が気づくことが大切、だから自分自身を大切にしなさいと言ったのです。空海は人間には10段階があると考えました。動物のように飲み食いしか考えていないような本能のままに生きる心の段階(迷信や土俗信仰)、道徳心に目覚めた段階(儒教と仏教の戒律)、俗世間から離れた段階(老荘思想とインドの自然哲学など)、無我を知った段階(小乗仏教の修行者)、すべては因果関係から成ることに気づいて迷いの元を見抜いた段階(小乗仏教の修行者)、人々の苦悩を救う段階(法相宗とインドの中観)、「空(くう)」の世界に達した段階(三論宗とインドの唯識)、俗なる世界そのものが聖なる世界とわかる段階(天台宗)、あらゆる対立を超えすべてが関係しあっているとわかる段階(華厳宗)、そして開かれた意識の段階(密教)です。空海はそれぞれの段階に、他宗教や思想、他宗派の教えを当てはめ、そのすべてに意味があるとしました。段階によって振り分けられていますが、決して順番を示すものではありません。密教の修行は、何かの意識状態を獲得したり、生み出したりすることが目的ではなく、それぞれの段階で、気づかずにいた意識(自分の中の仏)に、自ら気づくことを目的とします。
空海は「真言」という手立てがあれば、それが鍵となって意識は簡単に開かれると言います。真言は、インドのサンスクリット語で「マントラ」と言います。マントラは、人間以上の存在に対して発せられる祈りの言葉を意味します。「お天気になりますように」、「病気が治りますように」。そんなふうに、神に祈らずにはいられないような時、心から湧き出た言葉を「マントラ」と呼ぶのです。昔のインドでは、呼吸とともに口から出る「ことば」を、神聖で呪的な力のあるものと考えており、人間が神に想いを伝えるための道具と考えていました。仏教では、最初は安易なマントラ(おまじないのようなレベルのもの)は禁じていたのですが、次第に自己観察の修行で用いられるようになります。そして精神統一の修行(瞑想)で決まったことば(陀羅尼。だらに)が用いられるようになって、仏教のマントラ(真言)になりました。そのため、真言は本来、「瞑想」の道具なのです。「瞑想」は、自分自身を静かに振り返る行為です。密教の修行は自分を観察して意識のレベルを変えるために行います。断食や命がけの修行など、様々な方法がありますが、実はそれらも「瞑想」の種類の一つと言えます。真言は、ほとんどの場合、繰り返し唱えられますが、そのリズミカルな波動が閉ざされた意識の扉を開ける「鍵」となるのです。空海は開いた宗派を「真言陀羅尼宗」(真言宗)と名付けました。真言を重視したのは、真言が仏そのものであり、「自分の中に仏がある」と気づくための決定的な方法だったからでしょう。そして空海は特別な人だけでなく、すべての人に「自ら意識を開いてほしい」と願ったのです。
真言密教と他の仏教との最大の違いは、教えを説く仏(教主)が違うということです。他の仏教では、仏教を作ったお釈迦さまが教主ですが、真言密教では、大日如来が教主なのです。大日如来は、お釈迦さまのように実際にいた人物ではありません。お釈迦さまが悟りを開き完成した智慧を「勝(すぐ)れて遍(あまね)く輝く光」と呼びますが、この「光(智慧)」を仏格化したのが大日如来なのです。また、お釈迦さまの大切な徳に「慈悲」がありますが、その「慈悲」の根源が大日如来と考えるのです。「智慧」や「慈悲」は言ってみれば概念です。その概念自体が、人々に教えを説く「教主」になりえるのでしょうか。「智慧」や「慈悲」を仏格化することは、多くの大乗経典ですでに行われていました。そしてその根源である「光」も「華厳経」で「毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)」として姿をあらわしていますが、毘盧遮那仏自体が教えを説くわけではありません。しかしその後、「大日経」では、実際に教えを説く仏として登場します。なぜそのように発展したのかと言うと、「自分の中に光がある」と気づいた人たちがいたからです。これが密教の起こりです。その人たちは、自分の奥深くに光があることを確信しました。そして「その光があるから、自分も慈悲や智慧を発揮できるんだ」と考えたのです。「そうか、つまり光は大日如来(仏)だ。仏は私の中にいらっしゃるじゃないか」と。大日如来は、歴史的に実在していませんが、確かに存在しているのです。空海は「経典にあらわれるのであれば、実体があるはずだ」とし、「大日如来の体は実在している」と断言しています。そして、様々な音や出来事で、あるいは様々な姿になって、私たちに教えを説いてくれている、と考えたのです。
密教世界のすべてを図であらわしているのが、空海が唐(中国)から持ち帰った「大曼荼羅(だいまんだら)」で、「両部(界)曼荼羅」と呼ばれます。「胎蔵曼荼羅」と「金剛界曼荼羅」があり、空海は「二つにして一つ」だと説いています。しかしこの二つの曼荼羅は、その成り立ちも性格も異なるものなのです。「胎蔵曼荼羅」は「大日経」を図であらわしたもので、慈悲の心で一歩一歩進んでいくといった世界観ですが、「金剛界曼荼羅」の元である「金剛頂経」で説かれるのは「揺るぎない智慧(悟り)」で、自分が本質的に仏であることに、一瞬で気づくという世界観です。大勢の人を救うために一歩ずつ歩むといったような慈悲的な考えは「金剛頂経」にはありません。仏教は、発生してからずっと「慈悲」と「智慧」の宗教でした。大乗仏教が起こり、お釈迦さまの姿が表現されるようになった時にも、お釈迦さまは必ず「智慧」をあらわす尊格と「慈悲」をあらわす尊格を伴う形式(三尊)で表現されています。その後も仏教の図や像の表現では、この三尊が基本となって展開していきます。両部曼荼羅も例外でなく、主尊と慈悲と智慧の展開で構成されています。空海が慈悲の「大日経」と智慧の「金剛頂経」をともに掲げたのは、慈悲も智慧も、連携を取り合いながら機能している。仏と同じように人も世界も、慈悲と智慧が両方あってこそ、バランスが取れる、二つの曼荼羅をそのまま並べることで、そう表現しているのです。
「胎蔵曼荼羅」の正式名称は「大悲胎生(だいひたいしょう)曼荼羅」と言います。「大悲(大いなる慈悲)という母胎から生まれた仏たちの集合図」という意味です。「慈悲」は「思いやり」と言い替えることができますが、「思いやり」にはいろんな形があります。自分の身の回りのものは思いやり(慈悲)でできていると気づきます。そして無数の慈悲によって生かされていると気づくのです。そして、「自分もそんな慈悲を発するものになりたい」と考えたのが、大乗仏教の菩薩です。この慈悲の実践を仏格化したのが観世音(観自在)菩薩、友だち同士の思いやり(友情)を仏格化したのが弥勒菩薩(みろくぼさつ)です。また怖い顔をしていてわかりにくいですが、不動明王も慈悲の仏です。人々を導こうという堅い意思が、強い表情になって表現されるのです。このようにして、あらゆる仏が見出されました。そしてある時、たくさん存在している仏を整理しようと考えたのです。そうして成立したのが、「大日経」です。「大日経」は、仏たちの根源(大悲)である大日如来自ら、仏たちがどのような存在なのかを解説してくれる経典です。そしてこれを図にしたのが「胎蔵曼荼羅」なのです。大乗仏教の理想は、利他、慈悲の心を発揮して、慈悲を本質とする仏のように生きることでした。そういう意味でも胎蔵曼荼羅は、大乗仏教の完成形と考えられるのです。
「金剛界曼荼羅」の元である「金剛頂経」には、それまでの経典では決して描かれなかったことが書かれています。「金剛頂経」以前の経典というのは、お釈迦さまが悟りを得た後に説いた教えとまとめたもので、「悟り」体験そのものは、言葉ではあらわせないとされてきました。しかし「初会(しょえ)金剛頂経」は、お釈迦さまが悟りを開くまでと、悟りを開くまでの出来事が描かれます。つまり、「悟り」体験の内容を解き明かした経典なのです。お釈迦さまは「一切義成就菩薩(いっさいぎじょうじゅぼさつ)」という名前で登場します。この菩薩が苦行しても悟れずにいると、一切如来という不思議な仏があらわれます。一切如来は「自分の心は形には見えないから、満月のようなものだとして心の中で観なさい」と教えてくれました。一種のイメージトレーニングですが、霧や霞がかかったりと、なかなかできないのです。それがくっきりと思い浮かべることができたなら、それがあなたの本当の心、それが仏ですよ、というものです。くっきりと捉えられた自分の心は、仏の心と同じだと自覚できた時、一切義成就菩薩は悟りに達し、金剛界如来(金剛界大日如来の別の名前)になりました。金剛界の大日如来は、智慧を分けて四体の如来を生み出します。そして四体の如来が大日如来に供養して「四波羅密菩薩(しはらみつぼさつ)」を、大日如来が四体の如来のために「内(ない)の四供養菩薩」を生み出し、またそれに応えて四体の如来が大日如来のために、と智慧と智慧とが感応して相互供養することで、様々な尊格が生まれていき、智慧のパンテオン(万神殿)が誕生するというのが、「金剛頂経」のストーリーなのです。このように、一切義成就菩薩が金剛界大日如来になり、智慧のパンテオンが誕生する経緯をあらわしたのが「金剛頂経」であり、それを図にしたのが「金剛界曼荼羅」というわけです。
以下の本を参考にしました。
・「空海と密教 解剖図観」(武藤郁子。1800円)