2013年(平成25年)923()午前11時 若の秋彼岸の法話  会場:弘宣寺 本堂

「はじめての浄土真宗」

 

1、浄土真宗とは何か

 

弘宣寺は浄土真宗ですが、今から約800年前の鎌倉時代に親鸞(しんらん)というお坊さんが作りました。「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱えるのが特徴で、意味は「阿弥陀(あみだ)という仏様におまかせします」という意味で、自分一人の力では苦しみや迷いを無くせないので、阿弥陀という仏様におまかせすることで苦しみや迷いを無くしていくという教えです。お釈迦さまは「悩みや、老いや、病気や、死など、人間の苦しみの本当の原因は、人間の力を超えたところにある」と発見したので、「人間の力で逃れられない苦しみは、人間とはそういうものなのだと思ってそのまま受け止めなさい。」と教えましたが、親鸞の「阿弥陀という仏様におまかせします」というのも同じ意味だと思います。

この「自分の力で何とかしようとすること」を親鸞は「自力(じりき)」と呼び、「自分の力で何とかしようと思わないでまかせること」を「他力(たりき)」と呼び、親鸞は他力を大切にしました。「他力本願(たりきほんがん)」という言葉は、現在は「他人に頼って楽をする」という意味ですが、もともとの意味は「自分の力でできないことを自分で何とかしようと思わないで、素直にまかせる」という意味です。これが浄土真宗の最大の特徴です。

ただ、「他力の考えは親鸞が勝手に考えたことで、仏教的では無い」という意見もありますが、お釈迦さまは「自分が、自分がという『我』を捨てなさい」と教えたので、これは「我が強いと自分のできないことも自分でしようとして苦しむだけだから、自分でできないことは『できない』と素直に認めたほうが楽だし、解決の方法も見つかる」ということなので、親鸞の「他力」も同じ意味だと思うので、若は親鸞とお釈迦さまは同じことを教えたと思います。

 

 

2、親鸞とはどういう人だったか

 

親鸞は9才で京都の比叡山(ひえいざん)のお坊さんになりました。この比叡山とは、浄土宗を作った法然(ほうねん)や、日蓮宗を作った日蓮(にちれん)、曹洞宗(そうとうしゅう)を作った道元(どうげん)なども学んだ、日本の仏教の中心でした。しかし親鸞は、「仏教の教えは本当に正しくて、欲望や、我を捨てることが大切だと本当に思うけれど、そうやりたいけれどどんなにがんばってもできないんだ」と本当に悩んで苦しみました。そして、29才で挫折(ざせつ)して比叡山での修行をやめました。昔は、欲望や我を捨てたくても捨てられないお坊さんは、「自分が未熟だから」と思って、死ぬまで修行を続けました。しかし親鸞は「できないものはできないんだ」とあきらめたのです。ここがまず親鸞の変わっているところです。

比叡山をやめても悩みや苦しみが無くならないので、浄土宗(じょうどしゅう)を作った法然に会いに行って「自分ができなくてもいい。南無阿弥陀仏と唱えるだけで救われるんだよ」と言われて、はじめて親鸞は「これなら自分でもできる。自分のためにあるような教えだ」と思いました。お坊さんになってはじめて、親鸞は心が救われました。それから親鸞は法然の弟子になったのですが、自分で書いた本の中に「もしも師匠の法然がウソを言っていて私が地獄に落ちても、何の後悔もしない」と書いたのですが、これは師匠へのお世辞ではなく、もしも法然に出会わなければ親鸞は一生ずっと迷ったままだったので、本当に法然に感謝していたと思います。

お釈迦さまが「結婚すると苦しみが増えるから独身でいなさい」と教えたので、お釈迦さまが仏教を作った2000年以上前からずっとお坊さんは結婚できなかったのですが、親鸞は「お釈迦さまは結婚するなと教えたけれど、どうしても女性と結婚したいという気持ちが無くならないのです」と法然に相談したら、「どうしても結婚したかったら、してもいいよ」と親鸞に言ったので、親鸞は結婚しました。親鸞は日本ではじめて堂々と結婚しました。もしも親鸞がいなかったら、今でもお坊さんは結婚できなかったかもしれません。

34歳の時に他のお寺との権力争いに巻き込まれて「島流し(しまながし。今の刑務所のこと)」になって越後(えちご。今の新潟県)に住むことになりました。この時代は新潟県に住むことが罰だったみたいです。許されて自由になったので41歳の時に常陸(ひたち。今の茨城県)に移って、それから約20年後の63歳頃に京都に戻りました。そして89歳で亡くなりました。鎌倉時代は平均寿命が24歳と言われていて、その時代に89歳まで生きていたというのは驚くことです。

 

 

 

 

3、親鸞は変人で、落ちこぼれの代表的存在

 

普通のお坊さんは、「仏教の教えのとおりにやりたくてもできない」というのは、心で思っても絶対に他人には話しませんでした。しかし親鸞はものすごくオープンで、自分が行き詰まったり、悩んだり、苦しんだりしたことを素直に他人に話します。比叡山の修行を挫折したことも、普通の人ならばもっともらしい言い訳を考えますが、親鸞は素直に「挫折した」と言いました。お釈迦さまが結婚するなと教えたけれど、「だって結婚したいから」と言って結婚しました。83歳の時に親鸞の長男と合わなくなったので、親子の縁を切りました。それを親鸞は全部、オープンにしてきました。

他の宗派を作った法然(浄土宗)や、空海(くうかい。真言宗)や、日蓮(にちれん。日蓮宗)などはみんな「ものすごく優秀な天才」ですが、親鸞だけは「自分の力だけではどうすることもできない落ちこぼれの代表」なのです。だからこそ、やりたくてもできない人たちが親鸞を見て「自分だけができないのではないんだ」と救われます。そんな「やりたくても自分の力ではできない」と悩んで苦しんだ親鸞だからこそ、「南無阿弥陀仏と唱えれば、そのままで救われるんだよ」という教えが本当に心の支えになったと思うのです。

「親鸞はエリートではなく、落ちこぼれの代表だ」と思うと、親鸞の良さがわかります。

親鸞は落ちこぼれだけでなく、とても変人でした。考え方が独特なのです。親鸞はよく「私は、やりたくても自分の力では何もできないが、仏教が人を救うものならば、何もできない自分こそ仏教が救ってくれるはずだ」と思ったのです。他のお坊さんは「仏教の教えのとおりにできなければ自分が悪いのであって、お釈迦さまがやればできると言ったら必ずできるのだから、がんばれば必ずいつかできる」と思い、それが常識でした。これは学校の勉強に例えればわかります。親鸞は「東京大学に試験無しで入りたい」と言うようなものです。東大に合格しようと一生懸命に受験勉強をがんばっている学生が聞いたら真剣に怒るでしょう。しかし親鸞は「私は勉強が苦手で、本当にできない。東大は日本で一番の大学なのだから、日本で一番の先生がいるだろう。だから自分一人では勉強のできない自分だからこそ、日本で一番の東大の先生が必要なんだ。私が試験を受けたら絶対に落ちるから、試験無しで東大に入りたい。東大の試験に合格できるぐらいの優秀な人ならば、東大の先生がいなくても一人で勉強ができるはずだ」という考え方なのです。詳しく聞くと納得しますが、それを短くすると「試験無しで東大に入りたい」と言うので、親鸞の考え方はいつも反発があります。(これはわかりやすい例え話で、親鸞は「試験無しで東大に入りたい」という言葉は言ってません)

4、親鸞は本音を言う人、心の底の気持ちを言う人

 

親鸞は「人間の本音、心の底の本当の気持ち」を大切にしました。お釈迦さまは「悩みや、老いや、病気や、死は、人間ならば逃れられないから、そのまま受け止めることが一番苦しみが少ない」、「手に入れたものはすべて『たまたま手に入った』だけなのだから、失っても『たまたま手に入ったものがたまたま出て行った』だけであって、『絶対に手放さない』という執着(しゅうちゃく)の気持ちを捨てれば、何も苦しくない」、「欲望が苦しみを生むから、欲を捨てれば苦しみも減る」、「自分が、自分が、という『我』を捨てれば、苦しみも減る」と教えましたが、これは本当に正しくて、ものすごく納得するのですが、親鸞は「本当にそのとおりだと思うけれど、なかなかできないんだよね」と言います。ここにたくさんの人が共感します。親鸞だけの言葉を聞いていると「情けない」と思いますが、絶対的に正しいお釈迦さまの教えを聞いた後に親鸞の言葉を聞くと「わかる」と思うのです。

世の中には、「勉強をすることが大切なのはわかるけれど、やりたくてもできない」、「みんなと仲良くしたいと思うけれど、なかなかできない」、「マジメに仕事をするのは大切だと思うけれど、どうしてもサボりたいと思う」、「他人の意見を聞くのは大切だと思うけれど、どうしても自分の意見を押し通してしまう」など、「やりたいと思うけれど、なかなかできないことに悩んでいるんだ」という人がたくさんいますが、親鸞はその人たちの気持ちがよくわかるのです。

自分の気持ちのすべてを他人に話せる人はいませんが、それは本音をすべて言うと「変わっている」と言われることがわかっているからですが、親鸞は「他人に言えない気持ちがドンドンと心の底からあふれてくるんだ」と素直に言いました。

親鸞の教えというのは、正論で言うと「間違っている」と思う部分がたくさんあります。「自分に都合が良い」とか「情けない」とか「努力不足だ」ともいつも言われています。今でも「親鸞はお坊さんとしてダメな人だ」と言うお坊さんもいます。これは本当にそのとおりなのですが、だからこそ、「正しいことをやりたいんだけれど、どうしてもできないんだ」という人の気持ちが親鸞はわかるのです。そしてだからこそ「何もできなくても、南無阿弥陀仏と唱えるだけで、そのままで救われるんだよ。一人もおいて行かないよ。一人も見捨てないよ」と教えるのです。親鸞は、自分が「はみ出し者」で、落ちこぼれだったから、そのことで本当に苦しんだから、誰に対しても絶対において行かず、見捨てたり、仲間外れにしません。これが親鸞の、浄土真宗の一番の良さです。


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