はじめての仏教

2012年(平成24年)9月22日(土) 午前11時
 

池上彰(いけがみ あきら)という人は、わかりやすく説明してくれるので、テレビや本などでとても人気ですが、相手にわかりやすく説明する時には、表面だけわかるのではなく、本当に深く理解していないとできないと本に書いていました。

私は仏教のお坊さんですが、今日は仏教を子供にでもわかるように伝えようと思います。みなさんにわかりやすく伝えるのと同時に、私自身がもう一度、仏教を学び直したいと思います

 

 

1、   仏教とは何か

 

仏(ぶつ)とは、インドの昔の言葉のサンスクリット語buddha(ブッダ)とは、「真理を悟った者」という意味で、もともとインドの宗教ではすぐれた修行者をブッダと呼んでいた。仏教でも「悟った者」をブッダと呼び、何人いても良いが、特に「お釈迦さま」のことを言うことが多い。サンスクリット語のお経の本を中国語に翻訳する時に、ブッダを中国語の当て字にしたものが「仏陀(ぶっだ)」、または「仏(ぶつ)」と書いて、漢字に意味は無く、日本語のカタカナようなものです。なので、仏教とは「仏(ぶつ)の教え」、「お釈迦さまの教え」という意味です。

 

 

2、お釈迦さまとは何か

 

仏教を作った人のことです。昔のインドは、日本の戦国時代のように小さな国がたくさんありました。お釈迦さまは、インドの、正確にはネパールの「シャカ族」という、アイヌ民族のような民族のひとつで、そのシャカ族の国の王子(長男)に、ゴータマ・シッダールタという人がいました。16歳の時に結婚して、子供が一人いました。王子なので、物にも、お金にも、何も不自由していなかったのに、人生の問題に深く悩みました。そして、29歳の時に、国も、家族も捨てて、宗教の修行をすることにしました。最初は厳しい修行をしましたが、悩みは何も無くなりません。体を痛めつけても何もならないと気づいて、厳しい修行をやめました。目を閉じて、深く考えました。牛が食べたものを胃から口に戻してまたかみ砕き、それを飲み込んで消化し、また口に戻してかみ砕いてじっくり栄養を吸収するように、目を閉じて、何回も、静かに深く考えました。そして、35歳の時に、悩みの本当の原因は何なのかわかりました。この人のことを、インドのサンスクリット語で

Sakya muni(シャカムニ)と呼びました。Sakya(シャカ)とは「シャカ族の出身」ということ。Muni(ムニ)とは「先生」のような相手を敬う呼び方です。そのシャカムニを漢字で当て字にすると「釈迦牟尼(しゃかむに)」と書き、それを短くして「釈迦(しゃか)」と呼び、それを丁寧な言い方で「お釈迦さま」と呼んでいます。

 

 

3、    お釈迦さまは何を教えたのか

 

お釈迦さまは「悟り(さとり)」を開きました。本当の原因がわかると言うことです。お釈迦さまは自分がずっと悩んで苦しんでいた原因がハッキリとわかりました。それは、「人間の苦しみの本当の原因は、人間のレベルを超えたところにある」ということです。

 

1  「すべてものはいつも移り変わって、それは誰にも止められない」

 

すべてのものは変わり続けるから、命も生まれるし、死ぬし、何かを手に入れることもできるし、失うこともある。年もとるし、病気にもなる。人の心も変わり続けるから、仲が良かった人がケンカしたり、ケンカしていた人が仲が良くなったり、欲しかった物が欲しくなくなったり、欲しくなかった物が欲しくなったりする。変わり続けることは誰に求められないし、どのように変わるかも誰にもわからない。これは人間の力ではどうすることもできない。しかし人間は「変わらない」とか「変わるのを止められる」と思う。だから苦しみが生まれるとお釈迦さまは発見しました。

 

2  「すべて物は変わり続けるから、執着(しゅうじゃく)が苦しみを生む」

 

人間は、「一度手に入れた物は絶対に手放さない」と思います。だから失った時に激しい怒りと憎しみが出ます。「一度こうだと思ったことは絶対に変えたくない」と思います。「昔は通用したんだ」といいますが、今は通用しないことを本人もよくわかっているのに、それでも通用しなくなったことを認められません。「過去を忘れらることができません」。弘宣寺の昔からの檀家さんはゼロからお寺をここまで大きくした過去の成功を忘れることができません。しかし本堂を新しく作ったことさえ知らない檀家さんが、全体の1 以上います。失敗も人は引きずります。誰も何も言っていないのに、自分で勝手に怯(おび)えたり、自分を責めたりします。

お釈迦さまは、「変わることが苦しいのではなく、変わらないと思う気持ちが自分を苦しめるんだ」と言いました。

 

3  人間ならば必ず経験する苦しみがある

 

「悩み」、「老い」、「病気」、「死」は、人間ならば必ず全員が経験することをお釈迦様は発見しました。だから「そのまま受け止めることが苦しみを減らす一番の方法だ」と気づきました。人は、「悩みがあることが許せない」、「自分だけが年をとるんだ」、「病気になるのは何かの罰(ばつ)なのだ」、「死ぬことはありえないことだ」と思いますが、そのまま受け止めないことが苦しみを何倍にも増やすとお釈迦さまは言いました。

 

4  逃れることができる苦しみもある。

 

お釈迦さまは「苦しみは少なければ少ないほうがいいから、逃れられる苦しみは逃れたほうがいい」と言いました。欲は、人が生きていくために必要ですが、強すぎる欲望は苦しみを生むだけです。欲に自分でブレーキをかけることが苦しみを減らします。「怒り、憎しみ」は、相手を傷つけるけれども、自分の心も傷つけます。怒りや憎しみを無くすことで、自分の心も解放されます。「人は、あるがままに見ることができない」。お釈迦さまは、偏見や思い込みを捨てて、あるがままに物事を見なさいと言いました。

 

 

お釈迦さまは「人はどう生きるべきか、苦しみを減らすにはどうしたらいいか」を教えました。これからもお釈迦さまのことをわかりやすく伝え続けたいと思います。


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